生命の環を見習う

私たちは食システムの効率性について考え直す必要があると、ロバート・ビエルは述べます。

翻訳:馬場 汐梨

(エントロピーとして知られる)分解に向かう傾向は秩序を壊し、全てをランダム状態に変えます。しかしシステムというものは、それを通る移動があれば秩序を作り出すことができます。このことは地球に関しても起こります。太陽エネルギーが入ってきて、地球は無駄な熱を宇宙に放ち(「逃し」)ます。個々の動植物もこれと同じことをしています。そして地球のシステムを全体として考えると、一つの構成物の排泄したゴミは他の構成物に吸収されて、結果としてその移動は「織り込まれて」います。ジェームズ・ラブロックが言うように、一方の汚物は他方の食物となるということです。

 私たちが自然界に存在しないものを建てたり製造したりするとき、織り込みループを無視するという悪い傾向があるため、それぞれのプロセスに流れ込む多くのエネルギーや貴少なもの、そしてゴミや汚染、温室効果ガスという形で汲み出されるこれらの劣化したものがあるだけになります。しかし私たちはこれらの問題を循環システムアプローチを用いることで処理することができます。よい例は産業エコロジー(もしくは産業共生)で、そこでは多くの生産的なプロセスがネットワーク化され、一方のゴミが「他方の食物」となっています。

 私自身の仕事は食料システムに関することで、実は産業エコロジーの中では食物を育てる構成要素がいつもあります。何故なら、都市型農業はたくさんの副産物を吸収するからです。つまり、雑排水や廃熱(温室効果を高めうる)、堆肥にできるゴミ(醸造所から出るホップなど)です。これは都市型農業が潜在的には地方農業よりも生産性が高く、(身体の代謝のように)流動や循環に特徴づけられる「都市の代謝」に貢献するということのひとつの理由です。私はロンドン大学の一員としてあるプロジェクトに参加し、嫌気性のメタン分解装置を用意しました。地域のレストランからのゴミを自転車に載せた箱で集め、それらを堆肥化のプロセスで発酵残渣とメタンガスに分解して減らすのです。食物が、発酵残渣を肥料として生長し、私たちはそのガスで調理して、プロジェクトのカフェに出して、一つの循環が終わるというものでした。

 これらの実験は本当に面白いものですが、私たちはまた何をどのように達成しようとしているのかを批判的に考えなければなりません。つまり、産業エコロジーにおいては、食品分野を産業が取り除きたいものの掃きだめとしてだけ扱うべきではありません。少なくとも、それが何を吸収できるかというよりも、農業が都市代謝から何を必要としているのかという観点でその役割を定義することを考えましょう。

 そしてまた、より広義的には、ただ作物に多くの肥料を与えるというのは怠惰な解決策です。なぜならこれは植物が自分を強くする能力を妨げるからです。いくつかの素晴らしい実験では、フランス人農民のパスカル・プート (Pascal Poot) が自分の作物を最も厳しい状況におくと、それらは乗り越える遺伝性能力を身につけました。どの遺伝子が「現れた」(起動した)のかについて、科学的な説明が必要です。植物が必要としなければ眠ったままでいるということです!また、窒素率の高い肥料を与えることは(嫌気性堆肥から取り出す発酵残渣のようになりがちで)汚物の最たる例と言えそうであり、次にCO2排出を引き起こします。

 この食物の問題によって、より面白い疑問が浮かびます:もし閉ループのシステムについて話すなら、実際閉じることは、どのくらい望ましいのでしょうか?

 自立を目指すのは面白い挑戦です。私は、別の仕事をする時間を残した上で家族全員の野菜を自分たちの敷地で育てるのはそこまで難しくないことがわかりました。不耕起栽培では作業量が最小限になるため、なし得るのです。土に働きかけることなく、自然のバランスを自ら作り出すように促し、自己組織化のフリーエネルギーで栄養分が保たれます。残留物は堆肥に戻り、ロシアンコンフリーのような植物の深い根が表土壌の下の岩土層からミネラルを補充してくれます。

 しかし究極を言えば、自立は、外界の全てが壊れるのだと怖れる生存主義のモデルに導くことになります。NASAはアメリカでスイミングプールがアクアポニックスに替わったことに興味を示しています。

 しかし現実的な文脈から考えると、私たちはもちろん自分たちの畑を含む更に広い生態系に完全に依存しているので、「閉鎖された」というのはただの幻想です。そう、閉ループの生存主義的なケースの危険性は、私たちが内省的になって自分たちを社会での居場所から切り離すことです。ポイントは、未来の農業モデルは持続可能な方法でより多くの人口を養えるものであるべきで、耕作者自身の消費量を大幅に上回る余剰生産が必要になります。

 同時に、自立について正しいことを手放さない必要があります。ゴミをどのように吸収するのかに固執する代わりに、私たちのシステムをほとんどゴミを出さない程に効率化することを考えましょう。そうして「効率性」の本当の意味が、「自己組織化の能力を最大化する」という意味になるのです。おそらく私たちが求めているスローガンは、「食物をたくさん作り出そう!たくさんのエントロピーではなく!」でしょう。

 ここでフランスのラ・ベック=エルルワン (La Ferme du Bec Hellouin) の農場でのプロジェクトの例を見てみましょう。生産物のマーケティングとエコロジカルな意識を広めることを両方行うことで、アグロエコロジーの手法を用いてより広い社会に貢献できるかなりの量の余剰を生み出すことが可能です。

 私たちはまだ持続可能な食システムへのすべての答えは持っていませんが、今日の議論で励みになるのは私たちが意味のある疑問を呈していることにあります。例えば、農業エコロジーやパーマカルチャーで推奨される曲がりくねっていたり同心円になったりしている植え床は、直感的に自然の輪郭により近いものです。しかしそれらには生産性の上限はあるのでしょうか?これは面白い疑問です:私たちはいくらかは機械化を守らなければならないのでしょうか?そうだとしたら、どんなものになるでしょうか?

 最近公開されたグザヴィエ・ボーヴォワ (Xavier Beauvois) 監督の映画「ガーディアンズ」では、第一次世界大戦下のフランスの農村が舞台で、より広い社会経済の転換という背景に抗う人間関係の極めて面白い模索が見られます。初期の段階では、労働はとてもマニュアルできついのですが、全員が協力する必要があるため必然的に協力的です。物事が発展するにつれ、農業はビジネスとして組織され、家庭は機械に投資し生産性は向上します。しかし連帯はなくなり、人間関係が犠牲になります。では解決策は何でしょうか?もちろん、機械化の主流のアプローチは持続可能ではありませんが、別の方法はあるでしょうか?

 おそらく答えの一部は協同デザインする農機、ラトリエ・ペイサン (L’Atelier Paysan) に垣間見ることができます。その組織の原則は、本質的に共有をベースとし、ピアツーピアで、オープンソースであることです。このようにして、それは共有経済に、より広くは共有社会に近づいています。そこでは、繰り返し共に学ぶプロセスの一部として創造性が絶えず循環しています。その結果、完全にアグロエコロジー専用の新しい機械の青写真が常に発展するということになります。

 学ぶべきことは、私たちは物質的な移動でだけでなく、イノベーションやアイデアの移動動でも循環システムが必要であるということです。そしてこれが次々に社会再生を刺激する手助けとなるのです。

ロバート・ビエル (Robert Biel) はロンドン大学 (UCL) で政治経済学を教えており、また実践的な都会の農家です。彼はUCLの循環経済研究室のメンバーで、オープンアクセスの「Sustainable Food Systems: The Role of the City(持続可能なフードシステム:都市の役割)」という本の著者です。

リサージェンス & エコロジスト 日本版

リサージェンス誌は、スモール・イズ・ビューティフルを提唱したE.F.シューマッハらが始めた社会変革雑誌で、サティシュ・クマールさんが主幹。英国で創刊50年、世界20カ国に読者4万人。環境運動の第一線で活躍するリーダーたちの、よりよい未来への提言で、考える糧を読者にお届け。また、詩や絵などのアートに溢れているのも特徴。

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