幸せの定義

ラッセル・ウォーフィールドは、フェミニストの研究者で作家のリン・シーガルと会います。 

翻訳:馬場 汐梨

 全体的に、あなたは昨日どのくらい幸せを感じましたか?この質問は、デイビッド・キャメロンが国家幸福度指数をつくることを決めた2011年以降毎年イギリス国民に投げかけられています。この国家幸福度指数は、国の福利政策としてGDPに置き換えることが討議されています。個人の幸福の体験を定量化しようとするこの試みは、リン・シーガルの素晴らしく肯定的な本である「根本的な幸せ (Radical Happiness)」のきっかけとなりました。 「私は、幸福とは定量化できる内的な出来事であるという考え方を用いて幸福の促進と測定について調べることから始めました」とシーガルは私に言いました。「ええ、実際には、そのような感情はありません。すべての感情はもっと複雑で混ざっていて、もっと矛盾したものです。そしてさらに、それらは個人の力学と同様大衆の力学も持っています」 この見識は、その本のサブタイトル、「集団的喜びの瞬間 (Moments of Collective Joy)」の中心となっています。シーガルにとって、幸福は個人化できるという考え方は新自由主義の特に有害な側面です。それとは反対に、彼女は喜びというものは元来共同のものであり、人生における幸福はお互いや自然に依存しているという認識からしか来ないと考えています。 私が書いていることはすべて、他人との繋がりを認識する必要があること、そしてそれが、これまでになく押し込められている自身との鬱々とした繋がりを逃れる唯一の方法であるということを主張しているのです」と彼女は語ります。 「喜び、それは私には、ほぼ完全に集団的なもののように思えます」と彼女は続けます。「たとえ山の頂上から見える景色のようなものから来るものであっても、私たちはそれを共有できるようになりたいのです。何かを共有できるほど、それは続き留まるものです」 この見解は「幸福産業」などと呼ばれるものへのシーガルの疑問を説明しています。そこでは不幸は個人の欠陥として扱われ、市場化された医療やマインドフルネスの組み合わせによって治療することができると考えられています。そのようなアプローチでは、当然の帰結としての不幸を生じさせかねない構造的な問題はあいまいです。シーガルは違う見方をしています。 「絶望感については、幸せと同様、社会的な文脈で考える必要があります」と彼女は言います。「個人的な苦しみには個人的な側面が常にある一方で、それを解決するのは必ずしも個人的なものではありません。私たちはそれが失業に関係していることを知っています。貧困に関係していることを知っています。 「私は個人的な苦しみがないと言っているのではありません。実際にあるのですから。そして私たちはそれぞれ独自の過去があり、それは重要です」と、認知行動療法や抗うつ剤といった手段の利点を退けないよう気を付けながら譲歩します。「しかし私たちに押し付けられるプレッシャーの観点から考えられるべきで、そして、私たちは次のように問わねばなりません。どうしてそんなに重いのか?」 彼女は新自由主義の社会の憂鬱さについて調べる意思があるにも関わらず、1時間程度シーガルと過ごすだけで、幸福について何かしらを知る人と自分がいるのだと気づけます。彼女の美しく手入れされた庭に座り、発言すればほぼ毎回、明るいくすくす笑いが止まらず話を中断しながら過ごすのです。 1960年代の社会フェミニストである彼女は、共同社会の政治を生涯にわたって好んでいます。それは明らかに今日の彼女の集団的喜びに関する考え方を起こしたものです。 「私の世代はステータス以外への無関心を伴う戦後の消費主義を批判する時代でした。これは1960年代資本主義の黄金時代で、若者は自由を許されていました。しかし同時に私たちはすでに次のように考えていました。私たちは商品に人生を左右されたくないと」 「私たちは反資本主義でした。なぜなら、私たちは意味のある創造的な人生を望んでいて、他人を思いやりたかったからです」と彼女は言います。「私たちは平等で思いやりがあり、共有する政治を望んでいました」 今日、これらの理想からはいくらか遠ざかったように思われがちです。シーガルにとってはしかし、絶望に直面した抵抗ですら集団的喜びの根本的な行動の条件を備えています。それだけでなく、意味のある、長く続く幸せのカギにすらなりうるものです。 「この10年ほどは、多くの人にとって悪夢であったでしょう。しかし同時に大きな抵抗の時代でもありました。ブラック・ライヴズ・マターやシスターズ・アンカットであれ、トランプの当選の翌日すぐに街頭デモする普通の人々であれです」と彼女は説明します。 「自分自身を覗いて自分自身を幸せにしようとするよりも、世界に目を向け周りで起きている惨事、移民危機の惨事や気候変動の惨事に立ち向かう方がより生き生きと感じ、より社会参加しているように感じやすいです」 この細分化の時代では特に、私たちお互いの繋がりという現実に真面目に関わることはシーガルの幸福の理論の芯となるものです。一次的な公的扶助を通じてすら私たちの結束を高める能力を攻撃する緊縮政策について話している時に、彼女がおそらく最も憂鬱だったのはそのためでしょう。 このことは、彼女が言うには、次の本の主題です。「現在の公的扶助は完全な危機に陥っています」と嘆いています。「最も悪いことには、新自由主義の政治といわゆる福利改革では若い母親たちはますます長い時間働いています。つまり公的扶助をどこかから取り入れる必要があるということです。これは、自分の家族や扶養者を後に残して貧しい国から来る人々に、人種差別の力学をもたらし、第一世界の公的扶助のニーズを取り入れるのです。 シーガルにとっては、私たちの幸せになるという考え方をねじまげた現代の資本主義の状況は、こういった公的扶助の危機の原動力でもあります。 「生産主義の支援者、企業の資本の精神が、彼らの利益となるものの無報酬労働の全てを否定するやり方について考えていると — 」彼女は続けて「ケアワークや女性、そして社会的再生産について考えさせられます。そしてもちろん人知を超えたものもあります。だから近年ミツバチや種の絶滅について関心が高いのです。何故なら私たちは実際に他の人間以外の生き物や木々や花などの働きに依存しているからですが、全く考慮されないのです」 この依存を私たち自身の理解に含め直して考慮することは、シーガルが「根本的な幸せ」の中でしようとしていることです。そうすることで、彼女は私たちがお互いの繋がりの中で、また自分たちの環境の中で、たとえ絶望に直面していても幸せを再発見する手助けをしてくれるのです。 「私は自分が書いたものはすべて、私たちがどのように人生を送るか、どのように他人と繋がるか、どのように生きる希望を持ち続けるかについてだと感じています。それが、私の本が本当に伝えたいこと全てなのです」と彼女は言います。「根本的な幸福」はVersoから発行されています(2017年)。

ラッセル・ウォーフィールド (Russell Warfield) はフリーのジャーナリストです。

定期購読はこちら。

The Definition of Happiness • Russell Warfield

An interview with feminist academic and author Lynne Segal

リサージェンス & エコロジスト 日本版

リサージェンス誌は、スモール・イズ・ビューティフルを提唱したE.F.シューマッハらが始めた社会変革雑誌で、サティシュ・クマールさんが主幹。英国で創刊50年、世界20カ国に読者4万人。環境運動の第一線で活躍するリーダーたちの、よりよい未来への提言で、考える糧を読者にお届け。また、詩や絵などのアートに溢れているのも特徴。

0コメント

  • 1000 / 1000