沓名 輝政

たのしあわせ研究所所長。自給研究家。ぢきゅう人。マザーアースニューズ日本版代表。週1起業家。日本折紙協会認定講師。国際折紙講師。

記事一覧(120)

幸せの定義

ラッセル・ウォーフィールドは、フェミニストの研究者で作家のリン・シーガルと会います。 翻訳:馬場 汐梨 全体的に、あなたは昨日どのくらい幸せを感じましたか?この質問は、デイビッド・キャメロンが国家幸福度指数をつくることを決めた2011年以降毎年イギリス国民に投げかけられています。この国家幸福度指数は、国の福利政策としてGDPに置き換えることが討議されています。個人の幸福の体験を定量化しようとするこの試みは、リン・シーガルの素晴らしく肯定的な本である「根本的な幸せ (Radical Happiness)」のきっかけとなりました。 「私は、幸福とは定量化できる内的な出来事であるという考え方を用いて幸福の促進と測定について調べることから始めました」とシーガルは私に言いました。「ええ、実際には、そのような感情はありません。すべての感情はもっと複雑で混ざっていて、もっと矛盾したものです。そしてさらに、それらは個人の力学と同様大衆の力学も持っています」 この見識は、その本のサブタイトル、「集団的喜びの瞬間 (Moments of Collective Joy)」の中心となっています。シーガルにとって、幸福は個人化できるという考え方は新自由主義の特に有害な側面です。それとは反対に、彼女は喜びというものは元来共同のものであり、人生における幸福はお互いや自然に依存しているという認識からしか来ないと考えています。 私が書いていることはすべて、他人との繋がりを認識する必要があること、そしてそれが、これまでになく押し込められている自身との鬱々とした繋がりを逃れる唯一の方法であるということを主張しているのです」と彼女は語ります。 「喜び、それは私には、ほぼ完全に集団的なもののように思えます」と彼女は続けます。「たとえ山の頂上から見える景色のようなものから来るものであっても、私たちはそれを共有できるようになりたいのです。何かを共有できるほど、それは続き留まるものです」 この見解は「幸福産業」などと呼ばれるものへのシーガルの疑問を説明しています。そこでは不幸は個人の欠陥として扱われ、市場化された医療やマインドフルネスの組み合わせによって治療することができると考えられています。そのようなアプローチでは、当然の帰結としての不幸を生じさせかねない構造的な問題はあいまいです。シーガルは違う見方をしています。 「絶望感については、幸せと同様、社会的な文脈で考える必要があります」と彼女は言います。「個人的な苦しみには個人的な側面が常にある一方で、それを解決するのは必ずしも個人的なものではありません。私たちはそれが失業に関係していることを知っています。貧困に関係していることを知っています。 「私は個人的な苦しみがないと言っているのではありません。実際にあるのですから。そして私たちはそれぞれ独自の過去があり、それは重要です」と、認知行動療法や抗うつ剤といった手段の利点を退けないよう気を付けながら譲歩します。「しかし私たちに押し付けられるプレッシャーの観点から考えられるべきで、そして、私たちは次のように問わねばなりません。どうしてそんなに重いのか?」 彼女は新自由主義の社会の憂鬱さについて調べる意思があるにも関わらず、1時間程度シーガルと過ごすだけで、幸福について何かしらを知る人と自分がいるのだと気づけます。彼女の美しく手入れされた庭に座り、発言すればほぼ毎回、明るいくすくす笑いが止まらず話を中断しながら過ごすのです。 1960年代の社会フェミニストである彼女は、共同社会の政治を生涯にわたって好んでいます。それは明らかに今日の彼女の集団的喜びに関する考え方を起こしたものです。 「私の世代はステータス以外への無関心を伴う戦後の消費主義を批判する時代でした。これは1960年代資本主義の黄金時代で、若者は自由を許されていました。しかし同時に私たちはすでに次のように考えていました。私たちは商品に人生を左右されたくないと」 「私たちは反資本主義でした。なぜなら、私たちは意味のある創造的な人生を望んでいて、他人を思いやりたかったからです」と彼女は言います。「私たちは平等で思いやりがあり、共有する政治を望んでいました」 今日、これらの理想からはいくらか遠ざかったように思われがちです。シーガルにとってはしかし、絶望に直面した抵抗ですら集団的喜びの根本的な行動の条件を備えています。それだけでなく、意味のある、長く続く幸せのカギにすらなりうるものです。 「この10年ほどは、多くの人にとって悪夢であったでしょう。しかし同時に大きな抵抗の時代でもありました。ブラック・ライヴズ・マターやシスターズ・アンカットであれ、トランプの当選の翌日すぐに街頭デモする普通の人々であれです」と彼女は説明します。 「自分自身を覗いて自分自身を幸せにしようとするよりも、世界に目を向け周りで起きている惨事、移民危機の惨事や気候変動の惨事に立ち向かう方がより生き生きと感じ、より社会参加しているように感じやすいです」 この細分化の時代では特に、私たちお互いの繋がりという現実に真面目に関わることはシーガルの幸福の理論の芯となるものです。一次的な公的扶助を通じてすら私たちの結束を高める能力を攻撃する緊縮政策について話している時に、彼女がおそらく最も憂鬱だったのはそのためでしょう。 このことは、彼女が言うには、次の本の主題です。「現在の公的扶助は完全な危機に陥っています」と嘆いています。「最も悪いことには、新自由主義の政治といわゆる福利改革では若い母親たちはますます長い時間働いています。つまり公的扶助をどこかから取り入れる必要があるということです。これは、自分の家族や扶養者を後に残して貧しい国から来る人々に、人種差別の力学をもたらし、第一世界の公的扶助のニーズを取り入れるのです。 シーガルにとっては、私たちの幸せになるという考え方をねじまげた現代の資本主義の状況は、こういった公的扶助の危機の原動力でもあります。 「生産主義の支援者、企業の資本の精神が、彼らの利益となるものの無報酬労働の全てを否定するやり方について考えていると — 」彼女は続けて「ケアワークや女性、そして社会的再生産について考えさせられます。そしてもちろん人知を超えたものもあります。だから近年ミツバチや種の絶滅について関心が高いのです。何故なら私たちは実際に他の人間以外の生き物や木々や花などの働きに依存しているからですが、全く考慮されないのです」 この依存を私たち自身の理解に含め直して考慮することは、シーガルが「根本的な幸せ」の中でしようとしていることです。そうすることで、彼女は私たちがお互いの繋がりの中で、また自分たちの環境の中で、たとえ絶望に直面していても幸せを再発見する手助けをしてくれるのです。 「私は自分が書いたものはすべて、私たちがどのように人生を送るか、どのように他人と繋がるか、どのように生きる希望を持ち続けるかについてだと感じています。それが、私の本が本当に伝えたいこと全てなのです」と彼女は言います。「根本的な幸福」はVersoから発行されています(2017年)。ラッセル・ウォーフィールド (Russell Warfield) はフリーのジャーナリストです。定期購読はこちら。The Definition of Happiness • Russell WarfieldAn interview with feminist academic and author Lynne Segal

必要なのは平和的反乱

大惨事から身を守る唯一の方法は、民衆の抵抗を通してでしかない、とゲイル・ブラッドブルック(Gail Bradbrook)が著します。 私たちは気候崩壊に直面して何をしますか?この実存的脅威はあなたにどう影響しますか?それはあなたの生き方にどう影響しますか? 命がどれほど貴重であるかに思いを巡らすなら、この破滅に向かいつつある時代は私たちが真に良く生きる機会である、と私は信じます。命とは、個々の私たちよりずっと大きなものだと理解するとき、私たちは心安らかになります。尊敬すべき祖先、つまり私たちの前にやって来た人々、そして私たちの後にやって来る人々に線をひくとき、与えられた命における自らの役割が理解できます。いくつかの先住民族文化は、次の7世代を守ることについて語ります。子供たちの未来が想像を絶する大惨事に向かわされる環境崩壊の時代、真にその悲しみを感じ、そしてどのように行動するつもりかを問うことが私たちの責務です。 この大惨事を前に、私たちには新しいアプローチが必要です。第二次世界大戦並みの動員をすべく世界政府が必要です。世界政府が要求するのは炭素排出削減と需要削減です。例えば、大気から炭素を取り除く安全な方法を見出すための多大な投資。輸送の改善。再生農業と生態系の回復。どれも技術的経済的に短時間で可能です。解決策はあるのです。最も肝心なことは、十分な政治的圧力をどのように創り出すかです。そういう政治的意志を創り出すのは私たちにかかっていて、実行するための最強の術があります。つまり暴動へ駆り進む民衆の不服従 - 反乱です。 気候変動は道徳の問題です。起きていることは悪であり、それを止めなければなりません。政府が恐ろしく不道徳なことをしているなら、それに抗議すべきです。政党政治とは無関係です。あらゆる政治的考えの理論家たちは、ひとたびその体制が失敗すれば反乱は正当だと認めます。 良い知らせは、反乱にはそれほど多くの人々を要しないことです。1960年代のアメリカ公民権運動のフリーライダーズは、少人数のグループで始まり、その夏の終わりには全盛を極め約300人が拘留され、政策に根本的な変化をもたらしました。アメリカで300人なら、英国ではどうでしょう?積極的な支援者は約200万人が必要でしょう。市民抵抗に喜んで参加する人は5,000人、もしくは500人の拘留が必要かもしれません。分かっていることは、望ましい変化を作るには、その行動が果敢であればある程少人数ですむということです。そう、最重要な次の一手は、始めること。ゲイル・ブラッドブルックは、2025年までにゼロ炭素経済を求める活動グループ、エクスティンクション・リベリオンのメンバーです。rebellion.earth定期購読はこちら。We Need a Peaceful Uprising • Gail BradbrookThe only way to step back from catastrophe is through civil disobedience

勇気

翻訳:佐藤 靖子 今私たちはこれまで以上に、変化を生む勇気を奮い起こす必要があります 気候に対する不安について人と話をすると、たいていの場合、私たちは同じ経験をしています。最初は大きな無力感を感じ、手に負えないこともあります。けれども多くの場合、この後に断固たる決意の感覚が生じます。おそらく、これが勇気が沸いてくる場所です。ハーパー・リーのアティカス・フィンチ曰く、「行動する前から叩かれてしまうこともあります。それでも行動する」のが「ほんとうの勇気」です。今私たちはこれまで以上に、変化を生む勇気を奮い起こす必要があります。 英国のヒースロー空港からドイツのハンバッハの森、フランスの Zone to Defend[空港建設反対運動]、そしてますます広がりつつある非暴力運動の Extinction Rebellion まで、本号で特集している世界中の平和的な活動家のアクションは、大きな不安が楽観論や希望に変わりうることを示しています。 もちろん、これを行う方法は非暴力の抗議だけではありません。「エコロジスト」のセクションでナタリー・ベネットはこう述べています。「全ての人に役割があります。ソーシャルメディアでアクションを推進することや家族や同僚の質問に答えることから ・・・ デモ参加者らにキッシュやケーキを焼くことまで ・・・。」「芸術」のセクションではアリス・ケトルが、素晴らしい布の風景や刺繍の「森」を作り「他に例を見ない行動主義」を形成する、難民や庇護希望者や関係者を一つにするプロジェクトについて書いています。「私は一人のアーティストに過ぎず、こうした問題を解決することはできません」と彼女は書いています。「でも、私が気に掛けているということは示すことができます。」 未来が最悪のシナリオとなる必要はありません。そしてもし私たちが一丸となって取り組むことができるなら、それは何か祝うべきことかもしれません。「基調」の特集で、ケイト・ピケットとリチャード・ウィルキンソンは、今社会をだめにしている不公平に対処することによってこれを可能にする方法を示しています。「多くの人々がそれを達成すると決心した時のみ、必要な規模の変化を生み出すことができます」と彼らは書いています。 「私達は、自分たちの惑星を破壊していると知っている最初の世代であり、それについて何かができる最後の世代です」と、WWFイギリスのチーフエグゼクティブのタニヤ・スティール(Tanya Steele)は10月の「生きている地球レポート」発行の際に述べています。2018年末は気候崩壊の現実が主流をうちのめした瞬間として記憶されるかもしれません。2019年が私たちが物事をよい方向に変化させ始めた年として知られるようになるチャンスはまだ残っています。マリアン・ブラウン副編集長定期購読はこちらCourage • Marianne BrownNow, more than ever, we need to muster our courage to make change

有機農業の英雄への賛辞

サティシュ・クマール (Satish Kumar) は、グリーンピースのロード・ピーター・メルケット(Lord Peter Melchett) 元理事への思いを記しています。ピーター・メルケットは地方の情熱的な防衛者であり、自然環境の完全性を保っていましたが70歳で亡くなりました。彼と知り合い、彼が「The Countryside We Want」(Green Books より出版)に寄稿する際に一緒に働いたことは、私の名誉と喜びでした。 ピーターは、レディ・イヴ・バルフォア(Lady Eve Balfour)と彼女の本「The Living Soil」、そしてレイチェル・カーソンの本「沈黙の春」にも触発されました。 両方とも初期の環境運動の傑出した声であり、自然界と調和した人類という彼の理想主義とビジョンの源泉でした。 彼は理想主義を行動主義に変え、世界の最重要環境団体のひとつであるグリーンピースのディレクターに就任しました。 グリーンピース在籍時、ピーターは1999年にGMトウモロコシの作物を破壊した28人の活動家のグループの一人として、GM作物に反対する顕著で歴史的な行動を起こしました。その結果、彼は刑事被害を引き起こすと告発され、ノーウィッチクラウンコートに現れました。ピーターと彼の仲間の抗議者たちは、環境を守るという主張は正当だと裁定した陪審によって無罪となり皆、驚き、喜びました。 この勝利の結果は、英国だけでなくヨーロッパでも、GM作物の普及を阻止するのに役立ったのです。 しかしピーターは単なる理想主義者ではありませんでした。 彼は実践的な人間であり、土地を守り、土壌を気遣い、木を大切にし、動物を愛し、鳥を見て楽しんだ有機農家でした。 彼は積極的に、 (Friends of the Earth)、WWF、Ramblers Association 、RSPB(英国王立鳥類保護協会)を含む多くの生態学的組織の活動に従事していました。 しかし、彼の活動のハイライトは有機農業の促進でした。そして、彼はソイルアソシエーションの政策ディレクターになりました。 その地位の間、彼は国内農業問題と国際問題の両方に有機農業の主張を置くことに成功しました。 ピーターの環境保護主義者は政治家としての経験からも影響を受けていました。 彼はハロルド・ウィルソン (Harold Wilson) の下で労働政権のメンバーでした。 そういう経歴から、彼は生態学的価値を政治的且つ実用的に理解できる言語で提示できました。 ピーターの死によって、特に田舎のための、一般的には生態学的運動の勇敢で、カリスマ的で、熟達していて思いやりのある運動家を失いました。 サティシュ クマール(Satish Kumar)は、 Resurgence & Ecologistの名誉編集者です。Tribute to a Hero of Organic Farming • Satish KumarHonouring the former director of Greenpeace, Lord Peter Melchett定期購読はこちらからどうぞ

マオリ族の伝統が家族の修復に役立つ

伝統的な文化からインスピレーションを受けた、家庭内の揉め事への対処方法は子どもに良い影響を与えているとアンドリュー・パップワースとティム・フィッシャーは言います。北ロンドン、カムデンのコミュニティホールで、人々のグループがとても個人的なディスカッション(家族による家庭内虐待の認識とどのようにその問題を解決するか)に集中していました。そのミーティングではアルナと、3才の娘のルビ、そしてルビの父親であるアビックが中心でした。 「家庭内虐待はミーティングの最初からディスカッションの議題に挙がっていました。そしてそれが子どもや家族にとって悪いということも」とアルナは言いました。「私の家族は起こったことに対する懸念を現し、彼らがどんな形であれ虐待を受け入れるつもりはないことをはっきりさせることができました。私にとって、家族の両サイドが起こったこととそれが間違っていたのだということを受け入れることが重要でした」 このイベントはカムデン・ファミリー・グループ・カンファレンス・サービス (Camden Family Group Conference Service) の独立したコーディネーターによって組まれた、同じような家族会議のうちのひとつでした。これらのファミリー・グループ・カンファレンスの目的は、拡大家族を巻き込んで全員に発言の機会を与えることで、ソーシャルワークのプロと家族のパワーバランスを調整することです。マオリ族の慣例 過去20年に渡って発展してきたこのやり方は、ニュージーランドの原住民マオリ族の経験をなぞるものです。1980年代、ニュージーランドのソーシャルワーカーたちはマオリ族のコミュニティからの懸念へ反応を示し始めました。マオリ族の人々は保護される子どもたちの多さや、子どもたちが非マオリ族の機関や世話人の元に移動させられること、そしてたくさんの子どもたちが受ける虐待を恐れていました。 マオリ族たちは長い時間かけて確立されてきた彼ら独自の、家族のネットワークでミーティングを開いてコミュニティの子どもたちや家族が直面する問題を話し合い解決する方法を教えました。ニュージーランドではソーシャルワークの危機に陥っていたので、マオリ族の慣例を試してみることになり、そして1989年には大幅に法律化されました。その頃から、(どのコミュニティであれ)ニュージーランドの子どもたちが家庭で危害や排除に直面している状況はファミリー・グループ・カンファレンスで議論されるべきものとなりました。これは問題を法廷に持っていく前にしなければならず、法廷に持っていくのはそれでも解決されなかった場合のみです。この慣例は今やイギリスを含む他のいろんな国でも広がっています。 このモデルを採用することは、研究によって裏付けられているように、解決策が家族で作られて家族に根付いているということです。大抵自分たち自身にあるものが使われますが、時には法廷機関からのどんな支援が必要かを決めることもあります。このことによって、プロのソーシャルワーカーによって決められた解決策(例えそれが一等親と話し合われたものであっても)よりも永続的で持続可能な解決策を得ることができます。プロのソーシャルワーカーの存在は家族を駆り立てて責任を負う気にさせます。プロがいないと、家族がいい決断ができ、そしてその機会があるというポジティブなメッセージになります。 ファミリー・グループ・カンファレンスを通じて家族と話し合い、そのモデルの使用が伸びていくさまを見るのはとても楽しいです。ソーシャルワーカーのプロとしての私たちにとって、伝統的なプロの権力のある立場で取り組むよりもとてもポジティブです。ほとんどのファミリー・グループ・カンファレンスでは家族がそのモデルを採用して計画を立てるという結果になっています。それらのプランは決まって合意されます。家族のプロたちは想像性に富んだ永続的な解決策が思いつかず諦めていました。家族とプロの関係性が変わり、それが創造的なものであることが明らかになりました。ファミリー・グループ・カンファレンスは修復的司法の協議でかなり成功しているアプローチの一部です。カギとなる材料は正直さ、明確さ、(子どもや拡大家族の)参加と、エンパワメントです。決断は家族のメンバーが自分たちで下します。 ファミリー・グループ・カンファレンスを通じて児童虐待や育児放棄を含む難しい問題に取り組むとき、コミュニケーションとその解決策は、家族とプロにとって経験値になります。マオリ族の家族は、そういう難題に取り組むときに重要なのは会って話すことだと昔から知っていました。中には傑出したマオリ族もいて、ニュージーランドの非マオリ族の白人のソーシャルワークという職業が1980年代半ばに危機に陥っていたときに、このことに気づいて、マオリ族が議長をした取り調べの結果、実践方法が大幅に変化しました。 ピーター・ブロック (Peter Block) は著書「コミュニティ:所属することの構造 (Community: The Structure of Belonging, )」で、ファミリー・カンファレンスがどのように構成されるかに関わる必要不可欠なことについて述べています。彼は集まることの重要性を強調しています。そして問題について話すだけではなく、コミュニティが人々の不足しているものではなく持っているものに焦点をあてて組織されているか、また人々にレッテルを貼ることは彼らの潜在能力を最大限に発揮する力を減らしてしまうということも強調しています。パワーバランス どうしてこれがリサージェンス誌の読者に関係があるのでしょうか?ええ、私たちはファミリー・グループ・カンファレンスを用いる経験は楽しく、また権威と人々の力関係を変える可能性についてのいい知らせがたくさんあると考えています。ファミリー・グループ・カンファレンスは様々な力の構造の中で構築されます。そして、対話や合意が達成されるのは家族とプロの機関の平等性がとれているときです。さらに、批判や不信の空気の中でソーシャルワーカーと家族が会うときよりも、はるかに建設的で創造的な結果が得られることがほとんどです。 ほとんどの照会は地域の権威的な法廷機関から来ますが、子どもについての決断を下すのにファミリー・グループ・カンファレンスを用いることは、より伝統的なやり方に対する代替手段です。カンファレンスは家族が受け入れられる公平な場所で開かれます。ファミリー・ライツ・グループ (Family Rights Group) によれば、2017年には84%の地域当局が家族にファミリー・グループ・カンファレンスを紹介しました。 オランダでは、カンファレンスの裏にある原則がよりいっそう考えられています。そこでは、ファミリー・グループ・カンファレンスの発議は法廷機関である必要がありません。今は法律によって、家族のメンバーなら誰でも発議できるようになっていますし、地域当局はそれに対して地域サービスを提供しなければなりません。ファミリー・グループ・カンファレンスはホームレスの問題やメンタルヘルスの要求から起こる困難、これから釈放される囚人の将来や、障害や老化による困難についても取り扱うことができます。 子どもに関するファミリー・グループ・カンファレンスは彼ら自身の現在の問題についてではありません。認識される必要があるでしょうが、プロセス全体にとってカギとなるのは子どもの将来のための計画に家族のネットワークを呼び込むことです。ファミリー・グループ・カンファレンスの効果の証しのひとつは、参加した家族がそのプロセスの支持者になることが多いということです。カムデンでは、メンバーが広報やプロセスにアドバイスをする家族の諮問委員会 (Family Advisory Board) に人々が参加しています。彼らはまた、ファミリー・グループ・カンファレンスに賛同すべきか悩んでいる新しい家族に会うのに立ち会うこともしています。彼らの立場はそうしてきたというもので、それでうまくいっています。希望を与える アルナのような人々にとって、ファミリー・カンファレンスは建設的で変容可能でさえあります。ファミリー・グループ・カンファレンス以降、彼女がいうには家族はルビの最も興味のあることについて協力や対話や計画がしやすくなったようです。そしてアルナはこれが「最も重要なこと」と述べています。 「ファミリー・グループ・カンファレンスを通じて、私たちはお互いをより理解しましたし、それはソーシャルワーカーについても含みます。私たちは課題を片付け、関係性や将来への自信が改善されました」と彼女は言いました。ファミリー・グループ・カンファレンスを編成する上でカギとなる原則・ソーシャルワーカーの懸念に関する情報が明白で正確であること・子どもの拡大家族ネットワーク(親戚や重要な友人)がプロセスに参加すること・プロセスの重要な部分(そして家族をただコンサルティングするのとは根本的に違う部分)は家族のプライベートな時間です。将来の計画を練るためにソーシャルワーカー抜きで家族のネットワークが集まりますが、それがソーシャルワーカーの懸念を解決することになります。そうすれば家族とプロのパワーバランスが変化します。・家族の計画は、子どもを危険にさらすとプロが示さない限りは受け入れられること・子どもを含む全員に発言の機会があること・ファミリー・グループ・カンファレンスは家族が同意した時のみ召集されること(それは家族に課されるべきではありません)そして独立したコーディネーターによって編成されることアンドリュー・パップワース (Andrew Papworth)とティム・フィッシャー (Tim Fisher) はそれぞれ、カムデンのファミリー・グループ・カンファレンス・サービス(カムデンの地方当局の一部)の前支配人と現支配人です。彼らは最近、『ソーシャルワークとソーシャルケアのおけるファミリー・グループ・カンファレンス:意思決定に家族を巻き込む (Family Group Conferences in Social Work and Social Care: Involving Families in Decision Making)』(Policy Press、2018年) の1つの章を書きました。A Maori Tradition Helps Heal Families • Andrew Papworth & Tim FisherAddressing family conflicts is having a positive effect on children購読登録はこちらからどうぞ。

全体の部分

サティシュ・クマールが、科学的な考え方で霊性を取り込むことを提唱します。翻訳:斉藤 孝子私たちは旅路、つまり分離から関係性へ、そして二元論から統一への旅路にあります。私たちの時代の主な二元論のひとつが、科学と霊性を切り離すという考えでした。純粋理性の時代以降、教育制度は、科学は霊性から影響されるべきではなく、また霊性は科学とは全く無関係であるべきという確信を打ち建てる方向でやってきました。 過去100年間、霊性とは個人的且つ私的な生き方の問題、あるいは全く意味不明なこと、のどちらかだという説に洗脳された何百万もの学生が大学を卒業してきました。この主流の考えでは、科学と霊性の間になんの分離も考えなかった過去及び現在の科学者達に全く無関心できました。 ドイツの著名な詩人、そして科学者であるヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは、深遠な科学的霊性を以って仕事をしました。彼の著書「植物の変態」と「色彩論」では、狭く直線的な考え方の科学に反論しました。自然を現象学的に理解することで、より相関的で周期的、そして全体論的な科学を詳細に解説しました。しかし、ゲーテの理想主義的で霊的な科学は、殆どの大学で理科学生にそっぽを向かれました。彼は偉大な詩人としては評価されましたが、科学者としては評価されませんでした! レオナルド・ダ・ヴィンチも同様です。誰もが彼を偉大な芸術家と思いますが、科学者と認める人は殆どいません。けれど、現代の複雑でシステム思考の科学は、彼の研究に端を発しているのです。というのも、彼は生命体に関心を持ち、故に質と量の科学を信奉していたからです。科学の質を思うとき、即座に「霊性」という言葉が思い浮かびます。 アルバート・アインシュタインも霊的科学者でした。「科学を真剣に追求している者は誰もが、霊性は宇宙法則に現れていると確信するようになる…宇宙法則の前にあって微々たる力しか持たない我々人類は謙虚にならざるを得ない。」と言いました。 アインシュタインは、人が経験する宗教的側面を尊重しました。「宗教を伴わない科学は不完全であり、科学がない宗教には何も見えてない」と言いました。アインシュタインは、制度化組織化された宗教施設について言っているのではありません。宗教上の経験(測定など及びもしないこと)について言っているのです。 霊性と科学を結び付けることは、意味と測定を結び付けるのに役立ちます。これら二つを断片化したり、切り離すべきではありません。科学的仮説や理論を作るために実験や証拠を通じて得る実験的知識以前に、明示されていない不思議に思う気持ちや好奇心、直感やインスピレーションというものがあります。一部の唯物論科学者らがしているように、明白でない直観やインスピレーションを切り捨ててしまうのは愚の骨頂です。 「スピリット」という言葉が単に意味するのは「呼吸」や「風」です。私たちは風を見ることも触れることも測定することもできませんが、それを感じることはできます。木々が風にそよぐように、人はスピリットにより動かされます。呼吸や風は、目には見えない微かな力ですが生を可能にします。見えるものは、見えないものによって支えられています。外側の物質的な実相は、内なる精神の実相の力を通して結びついています。一つを肯定し、もう一つを否定することは、鳥に片翼だけで飛ぶことを望むようなものです。 全体の実相は、相関する二つの側面から構成されています。中国人はそれを陰陽の調和と呼びました。インド人はそれをシヴァとシャクティのバランスと呼びました。正負、明暗、無言と有言、空と満、精神と物質、明瞭と曖昧は、ただひとつある全体の部分です。 科学と霊性の統合には、非常に現実的な目的があります。霊性のない科学は、倫理観、道徳観、価値観をたやすく失くします。霊性の指導を受けていない科学者は、核爆弾や戦争兵器、遺伝子工学、人工知能、残酷な環境での工場飼育、廃棄物・汚染・自然破壊を起こす技術開発に携われます。霊的叡智のない科学が、今日世界が直面している多くの問題を引き起こしているのです。科学自体は良性でも価値と無縁でも中立的でもありません。故に科学は、その完全性を維持し、その力に修正を加えるために、霊的叡智の助けが必要なのです。霊的叡智なしには、科学は危険になり得ます。霊性は科学に、意味・価値・目的を与えます。 科学が霊性を必要とするように、霊性にも科学が必要です。科学のない霊性は、盲目的信仰、独断主義、派閥主義、原理主義に簡単瞬時に変容します。非科学的な人々は、「私の神は唯一真の神であり、私にはその真実がある。誰もが私の真実に改宗せねばならない。」と主張するでしょう。そのような偏狭で宗教的な排他性が、戦争、紛争、テロ、および分断につながって来たのです。科学は、人類全体の利益のため、そして人類、人類以外の生きとし生けるもの全てのために真実を追求し行動できるよう、私たちの心を開いておく助けになります。 霊的叡智の主観的側面を棄てた物質主義者としてか、あるいは科学的発見の客観的世界をけなす霊的探求者としてか、というどちらか一方の断片的な方法で生きたいですか?選択するのは私たちです。私は科学的考え方で霊性を取り入れることを選択します。私にとって、科学と霊性は全体の補完し合う部分なのです。サティシュ・クマールは、科学と霊性をテーマに、リチャード・ドーキンスのインタビューを受けました。インタビューは tinyurl.com/satish-dawkins でご覧になれます。定期購読はこちらからどうぞ。Parts of the Whole • Satish KumarEmbracing spirituality with a scientific mind

災害が迫る今、世界は目覚め始めている

翻訳:浅野 綾子WWFは生きている地球レポートを2年に1回発表していますが、2018年10月に発表されたレポー トもまた、私たちの地球に人間が及ぼす影響の大きさを考えさせるものです。依然として、右を 見ても左を見ても個体群の減少や絶滅、森林破壊を示す数値だらけですが、それでも希望の光は あるとトニー・ジュニパーは言います。同時に起きている環境問題への認識の高まり、変化を求める運動の新興、政治的進展の兆しは、世界が自然破壊の規模と肩を並べ るまでに目覚めてきている証しにほかなりません。緊急事態であるとの意識を持ちはじめているのは活動家や運動している人たち だけではありません。大規模メーカーや数十億ドルを動かす投資企業の役員会議の場や、一部の国の政府の中でもそのような意識 が共有されています。その1番の理由は、自然界の秩序が適正に機能するかどうかが人間の健康、豊かさ、安全を決するとの理解 が進んでいることにあります。ここイギリスでは、一般市民の環境保護を求める声も大きくなっています。その例としてあげられるのが、2017年のイギリス総 選挙に引き続いて政治戦略シンクタンクのブライトブルー (Bright Blue) が発表したレポートです。与党の保守党が環境保護に向け た公約を全くしなかったことは若い投票者の間における与党不振の原因の1つになりましたが、レポートではその理由が詳述され ています。総選挙後、イギリスの政界では環境問題への注目度が歓迎ムードをともなって上昇し、強力な超党派合意の基礎がつく られました。このレポートの調査結果はこうした展開の説明に貢献するものです。 イギリス国内のこのムード変化は、自然保護に向けた新たな運動が生まれる貴重なチャンスです。この運動は、一般市民が政治 的な活動をする大きな舞台にもなり得ます。ブライトブルーの情報と調査が私たちに教えてくれるのは、政府や企業がすべきこと は長い間存在し続けるということです。今まで足りなかったのは具体的な対策を要求する人々の声であり、対策を講じようとする 政治の意志だったのです。 今、気候変動法を可決させた政治的機運のあった2008年と同じように、世の風潮は変化を肯定する方向へ変わってきています。 このタイミングをつかんで、環境保護を目指す強力な新しい法律をイギリスで制定できるようにしなければなりません。自然の再 生を義務づける新たな環境保護法の名で、自然環境の修復を促進する新たな農業政策もあわせて策定するのです。 イギリスを含め、鍵となる国々が国家としてのリーダーシップを発揮すれば、自然と人間についての国際的な取り決め (Global Deal for Nature and People) に向けた提案を進展させ、2020年の合意へと導く支援ができるでしょう。これはおそらく各国の元首が 第75回国連総会で顔を合わせたタイミングでの合意となり、自然破壊はもはや合理的でもなく、許容もされないと説くことになり ます。そして、私たちは自然破壊の代わりに、自然界を修復する道のりを歩きはじめることになるのです。この合意を下で支える のは、その年に開催される一連の重要な首脳会談で結ばれる数々の取り決めです。生物多様性条約における新たな達成目標や、 [京都議定書の理念の] 再生という大望を掲げる気候変動についてのパリ協定、持続可能な開発目標 (Sustainable Development Goals) における環境への取り組みの強化、公海における海洋生物保護についての新たな合意などがあります。 これは大いなる志にもとづく計画です。そうでなくてはなりません。一般市民の全面的な協力と政治の意志があれば、私たちは 長く続く自然破壊に終止符を打ち、私たちの生命を維持する地球の修復にとりかかることができます。世界のリーダーがこの難局 に立ち上がるかどうかは、彼らの意志次第です。イギリスを含めた各国のリーダーにおいても同様です。望むなら、イギリスは今 必要とされている模範的な取り組みを世界に示すことができるでしょう。 人間活動が地球に与える影響の規模は、今や完全に持続可能なレベルを逸脱しています。目下の問題は、地球が脅かされている かどうかではなく、取り返しがつかなくなる前に私たちが行動するかどうかです。国際社会が行動を起こして自然と人間のために 国際的な取り決めを結ぶよう求める運動に、私たちは共に参画する必要があるのです。トニー・ジュニパーは、WWFイギリスの支援運動・キャンペーン部門執行役員。定期購読はこちら。The World is Waking Up as Disaster Looms • Tony JuniperDespite extinction and deforestation there is cause for hope

全てはひとつ

翻訳:佐藤 靖子落葉樹のように、私は秋の活動休止の期間に入り、どんよりとした霞んだ朝にやる気を出そう ともがいています。とはいえ、自分の周りの多くの生命も、こうした状態にあるとわかりほっと しています。繭で覆われているものもあれば、積み上げられた丸太の中で丸まっているもの、別 の心地よい温かい場所を探しているものもいます。生命の形は異なるかもしれませんが、私たち は同じシステムの一部です。本号で讃えているのは、こうした一体性の感覚です。 世界はひとつの状態で始まり、後に相反するものに分かれた、とスウェーデンの画家、ヒルマ・ アフ・クリントは信じていました。彼女の力強い抽象画を、本誌の「芸術」セクションで見てい きます。私たちあらゆるものの起源の物語はまた「基調」の主題です。その中で、マイケル・バ レット (Michael Barrett) は、創世記を通じて解釈されているように人間と自然の二分法、そして 人新世の時代にいかに私たちが生きている地球の人間以外のものを「支配する」という概念から 離れ、つながりを強調する必要があるかを考察します。 「倫理的生活」では、スー・キトウ (Sue Kittow) が、一人で歩くという行為がいかに一体感を育むかを語っています。また、 「底流」ではアンドリュー・パップワース (Andrew Papworth) とティム・フィッシャー (Tim Fisher) が、全員の声を聞こうとするマ オリ族の文化から学ぶ家族の揉め事への対処方法をシェアします。 「団結すれば耐え、分裂すれば倒れる。」これは「エコロジスト」のインタビューの中心にあるメッセージです。その中で、シ ニア環境コンサルタントのスザンヌ・ダリワル (Suzanne Dhaliwal) は環境保護運動における人種差別を指摘し、反弾圧と説明責任 について話し合う安全な場を作るよう呼びかけています。私たちには創ろうとしている世界の鏡となる組織化のモデルが必要です、 と彼女は言います。「物事について話し合いを続けましょう」と呼びかけます。そして聞き続けましょう。 彼女の言葉は、キバシリやエナガ、ミソサザイなど冬の小さな鳥を思い起こさせます。鳥たちは群れて餌を見つけるチャンスを 増やし、捕食者の攻撃を乗り越えます。今後の世界の状況に前もって備える時、彼らの例に学ぶことができると思いたいです。マリアンヌ・ブラウン副編集長定期購読はこちらAll Is One • Marianne BrownCelebrating a sense of unity

創造的に生きる

ドナルド・ウィニコットの発達心理学を理解する翻訳:馬場 汐梨今朝、私の居間の窓からの眺めは15cmの雪ですっかり変わりました。枝が明るい日の光で輝いています。クロウタドリやスズメ、シジュウカラが歌い、餌を探そうとどっさり積もった雪を払い落としています。生きていることは気持ちがいい。しかしもし私が窓の外を見て、頭では見事な景色だと思いながらもそれを感じることができなければどうでしょう?喜べるものが何もなかったら?すべてが非現実のように感じたら?生きていると感じるのではなく、内心では死んでいるように感じていたら?もしそこに、意味がなく、創造性のアンチテーゼである無益さしかなければ?これはとてもよくある経験です。ほとんどの人にとっては幸運にも一時的にしか続きませんが、一部の人には永遠に感じます。リサージェンスは先陣を切って、自然と人類の断絶が広がっていることを警告してきました。小児科医で精神分析医でもあるドナルド・ウィニコットは私たちの中の断絶や分離に興味を持っていました。まずは創造性に関する彼の考え方を手短に概説します。 1970年、人生の終わりに近づいていたウィニコットは次のように書きました。「創造性とはつまり、幼児体験に属するあるものを、人生を通じて保有することです。それは、世界を創造する能力です。幼児にとっては難しいことではありません。なぜなら母親が幼児の要求に応えることができれば、幼児は自分で想像し考えつくまで、世界が存在するという事実を最初は理解しないからです」ウィニコットは平均的な「ほどよい」母親はわが子が生まれた数週間に感じる一体感で、本能的に子供に自分が世界を創造できるのだという幻想を創り出そうとします。不必要な影響、例えばうるさい騒音や怒鳴り声、冷たい水、長い間お腹を空かせることなどからわが子を守ります。子どもが外の現実にうまく対処する許容度に合わせて徐々に、子どもが圧倒されないように気をつけながら、「少しずつ」世界を見せていきます。 ウィニコットは母親たち(と父親たち)の子育てに関する自信をつけさせます。日々のストレスや疑念や困難についてもはっきりと述べる一方、彼は親の自然な能力を信じているからです。おそらく彼は「移行対象」という言葉を提唱したことで最も有名でしょう。ある時期になると幼児は布きれやおもちゃやリボンなどの何か特定のものに関心を持ちます。ウィニコットはこれらのものはたいてい不可分であると気づきました。それらは愛され、嫌われ、捨てられた後にまた見つけられます。特に夜には不安を鎮めてくれるにも拘わらず、ただなぐさめてくれるだけのものではないのです。 ウィニコットはこの成長は幼児にとって外界になじむ過程で移行します。その対象は幼児/子どもによって創られたものでも、外界に属するものでもありません。ウィニコットはそういう対象を、「自分」でもなく「自分ではない」でもないので、「移行」と名付けました。それらは本当に主観的なもの(幼児によって創られた)でもなく、完全に客観的なものの世界(自分ではない)に属するわけでもありません。より小さな幼児では外側として世界を経験していませんが、発育期の幼児は彼らがコントロールできない「自分ではない」が存在することを理解し始めます。 移行対象は主観的な現実と客観的な現実のギャップを耐えられるものにします。最終的には移行対象は子どもにとって意味を失いますが、子どもの内的世界と外界の間にある中間領域は残ります。「移行対象や移行事象は経験し始めの基礎となる幻想の領域に属するものです」とウィニコットは述べています。「この経験の中間領域は、内的世界か外界の共有された現実のどちらに属するかという観点では問題にされていませんが、幼児体験の重要な部分を占めており、人生を通じてアートや宗教、想像の世界、そして創造的な科学の仕事のような強い経験の中に生き続けます。」 ウィニコットはそのような幻想は健康と創造的な生活に欠かせないと考えていました。ある音楽に没頭したり、あるアートや雪景色に驚くいたりすることは、世界が外界ではなく自分と不可分なものだと感じる瞬間です。それはあたかも自分が世界を創ったかのような瞬間です。これは遊びに夢中になった子どものそのままの延長です。フロイトやクレインとは違い、ウィニコットは遊びの中身よりも事象を重視しています。彼はいつもタゴールのギタンジャリにある「果てしない世界の海辺で子供たちは遊ぶ」という詩に魅了されていました。彼は遊びの無意識な象徴主義の精神分析的な研究は避けていました。「遊びは内なる精神的な現実でも外界の現実でもありません…もし遊びが内でも外でもないとすれば、それはどこにあるのでしょう?」と彼は問います。彼は遊びを中間領域に位置付け、子どもたちと関わる人々に繰り返し訴えました。「私たちは幼児に、これを創ったの?それとも転がっているのをただ見つけたの?と尋ねることには決して賛成できません。」その矛盾を問うことは遊びの現実離れした特性を壊すことになります。大人たちが、子どもたちが忙しく遊んでいる時に何をしているのかを言わせて、知識の未熟さに気を惹かせようすることの何と多いことでしょうか? ウィニコットは中間領域を(内なる精神的な現実と、共有された外の世界と対比して)3番目の空間と考えており、そして人生に生きる価値を与えるのはこの3番目の空間で、そこに人間の文化的な生活のすべてが存在するのだと考えていました。自分固有の「自分らしさ」を作り上げるのはこの中間領域での遊びの経験です。彼はこの領域での経験が累積すれば文化的な経験の共有資源に貢献すると考えました。創造性は普遍的なもので、特別な才能を必要としません。それは生きているという感じに含まれます。「個々の子どもや大人が創造的になれて個性すべてを発揮できるのは遊びの中であり、遊びの中でしかありえない。そしてそれぞれが自分自身を発見できるのは創造的でいることでしかありえない」これまでに他の精神分析医や心理学者がこのように考えたことはありませんでした。また「移行対象」という言葉は心理学の領域を超えて日常の言葉になりました。 去年のリサージェンス&エコロジスト誌をぺらぺらめくると、普通の人々の毎日の創造性を強調している記事がたくさんあります。与えたりもらったりする機会のあるコミュニティとつながることは幸福感や活力、創造性を高めてくれます。そのようなコミュニティは個人の悲しみや苦しみの時代に母のような支えを与えてくれます。「思いやりのフロム(思いやりは最良の薬:リサージェンス307号)」の素晴らしい記事は2人の創設者とボランティアの創造性だけではなく、合唱団で歌う中で自分自身の創造性を再発見した利用者のそれも例として紹介しています。 自然と繋がりなおすことの利点について書かれた記事がたくさんある中で、ピエール・ラビはサティシュ・クマールとの対談の中で(リサージェンス&エコロジスト303号)、時は金なりの不自然なシステムの奴隷になり下がって自然から遠ざかった人間について語っています。その精神が自然と人間を引き離していますが、断絶は現実的ではなく、私たちは根源、母なる地球に立ち戻る必要があると彼は考えています。美しい雪景色を見た人が頭でそれが美しいと知っていながらその素晴らしさを本当に感じることができないというのも同じく自然から遠ざかっていると言えます。そういう人は少なくとも一時的に、生きている感じや創造性を失っています。その精神が人間と自然の間にあるというラビの考えは、ウィニコットの「精神-身体」に関する精神の概念と共鳴しています。健康について言えば、精神や知識は「ほどよい」ケアで構築される精神身体的なまとまりの不可欠な部分です。精神は細胞や肉体を想像で表現したものです。幼児の自我の健康的な成育を阻む重大な影響があるとき、知性が引き継ぎ世話人のようにふるまいますが、のちの人生で現実を感じることができなくなったり、心身症という結果をもたらしかねません。そのような断絶や病は母なる地球との幼少期のつながりに注意すべきだというサインとみることができるかもしれません。 ウィニコットは、人間は生来、貪欲でも、利己的でも、嫉妬深くも、快楽主義でもないと考えました。それは環境、特に人生の最初の数年間子どもを取り巻く環境が重要であると。完璧である必要はなく(実は完璧を求めることそのものが問題です)ただ子どもが生まれながらにして持っている創造性を開花させるのにほどよければよいのです。病や放置、トラウマはこのプロセスに干渉して、自分自身の中で断絶を残します。リサージェンスのいくつかの記事で述べられている人間と自然の分離に帰結するのではないかと思います。 最後の言葉でウィニコットの紹介を終わります。「創造的に世界に向かい、世界を創造しなさい。あなたが創り出したものだけが、あなたにとって意味があるのです」クリス・ブローガン (Dr Chris Brogan) は精神分析のサイコセラピストで、ドナルド・ウィニコットの著作を広めるために設立されたスクイグル協会の理事です。squiggle-foundation.org

切断と同調:学びの教訓

新学年が始まり、学生の幸福を重視する上でWi-Fi、携帯やソーシャルメディアから離れるべきだとキム・サミュエルは語ります。翻訳:坂井 晴香ロンドン大学で経済学を教えているリチャード・レイヤードについて私は考え続けています。学生生活の本質的な特徴は、他者を気遣うことを学生たちに教えることであるべきだと彼は述べています。情が深く面倒見が良く、世界をより良い場所にする若者になるようにするのです。 彼の意見に心から賛同します。自らのコミュニティにおいて責任感を感じることで幸せを感じ、満たされる学生たちを見ることが私にとって教えるという経験の中で最たる喜びの一つです。 しかし私のミッションがそうだとしても、私の大学の業務に関わる職員や教員皆がそれを応援してくれるでしょうか。そのように私たちが価値を見出すとするなら、学生中心の最も有益な方法で大学にある資源に焦点を当てることではないのでしょうか。一人の完全な人間になることが大学の知性溢れる機能の一部であり、大学はその点において優れているべきです。しかし、学生がストレスによって心に負担をかけられていると、精神的な生活を学生は十分に楽しむことができません。 数多くの指標が私たちが危機に面していることを示しています。2015年、ロンドン拠点の公共政策について研究する機関 Institute for Public Policy Research によると、大学1年で精神的に健康ではない学生数が2006年以来500%も増加しています。同期間で、学生における自殺者数は79%増加しています。 カナダとイギリス全土にある私の所属する大学において、私は警鐘を鳴らす方法を考えてきました。学生、教授、事務局がみな同じく、学生の幸福を高め、危機が起きた時に対応するための重要なサービスについて組織化し、呼びかけ、出資しています。ブリストル大学の職員の一人によると、精神的な健康は全国において副学長の議題のトップに置かれています。しかし、私たちの為すこと全てにおいて、依然として道のりは遠いです。私たちの大学ではもうすぐ輝かしい若者へ新しい授業を開こうとしています。学生のために精神的な健康へのニーズに応える学内システムを構築する責任があります。。。(記事全文は定期購読またはバックナンバーをご利用ください)。。。教室の中では、教授が生徒に物質的なものだけでなく彼らを取り巻くコミュニティにも関わることを助ける一役を担うことが必須です。テクノロジーは現代的な教室において手助けとなりますが、価値ある関係性を構築するには人間同士の交流が必要です。これは教育者としての業務を補完するものではなく、統合的なものです。守られ、尊重され、大事にされ、見てもらえると人々が感じる教室に気を配ることで最良の学びとなります。私の経験では、教授と学生、学生同士の相互交流が促進される慎重な努力が教室での経験をあらゆる面で高め、学ぶことと同じように教えることが今以上に報われるのです。 もちろん、精神的な健康のような重要課題の組織的変革には、学長の協力的なリーダーシップが求められます。伝統的な精神的健康へのサービスに投資し、上述の学生中心のアプローチを探求することに加えて、職員が責任を持って学生の幸福が何によって決まるのかを追い続けるべきです。 レイヤードの決まり文句をやさしく言い換えると、大切にしたければよく吟味すべし。大学を学生が幸せに、健康でいられる場所にする努力を見極め、適正にし、改善するのに、一貫した信用できるデータが役立つでしょう。キム・サミュエル (Kim Samuel) は、前リサージェンス理事、Samuel Centre for Social Connectedness の創設者、モントリオールのマギル大学の実務家教員。www.socialconnectedness.orgTurn Off, Tune In: A Lesson in Learning • Kim SamuelSchools and universities need to cut down on wifi

大地の民族の教え

気候変動への対処:先住民族の文化から何を学べるか。グレブ・レイゴロデッツキーがカナダ西部からレポート。翻訳:浅野 綾子「この大地を歩くとき、私たちは喜びと敬意をもって、謙虚に、ゆっくりと足を運ぶ。私たちが踏みしめるこの土塵は、元は祖先の身体だったからだ」 クラクワット族 (Tla-o-qui-aht) の長老、リーバイ・マーティン (Levi Martin) は言いました。机の向こう側に見える彼の姿は高くそびえ、挨拶に私の手を握ります。そして木のテーブルの上やベンチについた朝露をシャツの袖で拭いました。「それで少し遅くなったんだ」リーバイはウィンクして、私の向かいに座りました。彼の顔にいたずらっぽい笑顔が広がりました。 「ああ、何て気持ちのいい日だ」そう言ってリーバイは伸びをし、息をつきました。手は灰色のあごひげを真直ぐに引っ張っています。夏の朝、トフィーノには霧が立ち込めます。クレイクォットサウンドの夜の冷気は、カナダ西部のブリティッシュコロンビア州の海岸沿いを伝い、ヒマラヤスギやボート、浜辺、外に置かれたベンチの周りに漂います。でも、午後になるまでには焼ける太陽の光が霧を裂き、沿岸の空気は温められ、霧が引いていきます。私たちの湿った身体にはこの温かさが快く感じられました。私たちはコモン・ローフ・ベイクショップ (Common Loaf Bake Shop) の2階にあるテラスでランチをとることに決めました。 ベランダの下には、ファースト・ストリートがトフィーノの船着場まで伸びています。船着場は、バン・ネベル水路 (Van Nevel Channel) を横切ってオピットサットの町までの短い距離を渡る乗客を、水上タクシーが流れるように運んでいく場所です。オピットサットはヌーチャルス [ヌートカ族] の言葉で「集いの場所 (a gathering place) 」。リーバイの生まれた場所であり、クラックワット族の数千年来の冬の町でもあります。その標高730mの Wah-nah-jus(ローンコーン山)の麓の海沿いには赤、白、青の平屋が並んでいます。 人々が敬うヒーラーであり、スピリチュアルリーダーでもあるリーバイは、1945年に生まれました。彼の育った環境は、クラクワット族の文化や言葉、伝承が世界のすべてでした。16人兄弟の末子で、生まれた時に授けられた部族の名は「Kaa-mitsk (戦う者・狩る者) 」。幼少期は家族と共に過ごし、Wah-nah-jus 周辺で狩りや採集、釣り、わな猟もしました。でも、アハウサット、ヘスクィアット、ヌートカ、カイウクォットというバンクーバー島西海岸沿いのコミュニティに住んでいた他の多くの子供たちと同じように、リーバイはクリスティ・インディアン・レジデンシャル・スクール(Christie Indian Residential School:先住民族の子供たち向けの寄宿学校)に送られました。1898年から1983年の間、カトリック教会がミアーズ島で運営していた学校です。。。。(記事全文は定期購読にてどうぞ)。。。「私たちの命と、生きとし生けるものすべての生命を維持する4つの聖なる要素がある。もっとも強大な力をもつ要素。」 最後にリーバイは語りました。「火、水、空気、それに母なる大地だ。それら無くしては何者も生き残れない。でも、これだけ強大な力をもちながら、これらの要素は1つだけでは命を支えることはできない。水を取り去れば生きながらえるものはない。同じことが他の要素にも言える。なぜなら、生命を維持するためにはすべての力を合わせる必要があるからだ。すべての力を合わせるのは、スピリットの力の働きだ。同じように、すべての人々は、先住民も入植者も、力を合わせなければならない。でも、私たちとスピリットの繋がりは絶えて久しい。どうすれば力を合わせられるか全く見当がつかないのだ。これを早く何とかしなければならない。私たちは力を合わせ、互いに学び合い、どのような形であっても、直面するすべての困難に対処するという希望を持たなければならないのだ」グレブ・レイゴロデッツキー (Gleb Raygorodetsky) は保全生物学者、フィランソロピック・アドバイザー、研究者。世界中の伝統的コミュニティに居住して活動した幅広い経験を持つ。カナダ・アルバータ州の環境・公園省、環境モニタリング・科学部、先住民族の知識・コミュニティモニタリング・市民科学支局 (Indigenous Knowledge, Community Monitoring and Citizen Science Branch of the Environmental Monitoring and Science Division) の事務局長。本稿は最近ペーパーバッグで Pegasus 社から出版された彼の著書「The Archipelago of Hope: Wisdom and Resilience from the Edge of Climate Change(仮題:希望のアーキペラゴ~気候変動の危機からの知恵と回復力))」から抜粋編集購読登録はこちらからどうぞ。Lessons From the Peoples of the Land • Gleb RaygorodetskyWhat can we learn from Indigenous cultures about responses to climate change?

深き憂い

オリバー・ティッケルが海の惨状と奥深さを知る海洋生物学者に会います。翻訳:斉藤 孝子海洋研究者・活動家であるアレックス・ロジャーズ氏が、初めて驚きの海洋プラスチック汚染を目にしたのは2015年のことでした。「私はその年、ホンジュラス、ベイ諸島のウティラ島でダイビングをしていました。そこは全て美しいサンゴ礁だったのですが、島の周りに来た時、どこまでも延々と続くゴミの漂着物が眼前に現れました。それはプラボトル、発泡ポリスチレン、ガラス繊維、人類が出す想像しうるあらゆる種類のゴミでした・・・あんな凄まじい量のゴミは見たこともありませんでした。恐ろしいものでした。」 ロジャーズ氏が海洋プラスチックを目にしたのはそれが初めてだったわけではありません。初めて見たのは、その3年前、彼とそのチームがマダガスカルと南極の間のインド洋で海山を探索していたときでした。「私たちは世界最果ての地で、深海のサンゴと水深1,500mまでの堆積物のサンプルを採取していましたが、その時これらプラスチック繊維もみな見つけていました。最初は一瞬、『素晴らしい。 次の論文になる!』と思いましたが、次の瞬間には『とんでもないことだ。こんなものがここにあるということは、どこにでもあるに違いない』と考えていました。」 海洋プラスチックは実に恐ろしく、確かに地球規模の問題なのですが、人間が海や海洋生物の健康に与えている唯一の脅威ではなく、最も深刻な問題ですらありません。「海洋のまず一番の問題は気候変動です。なぜならその脅威の大きさと範囲が途方もなく、海洋化学、海洋循環、海洋生態系、極地の海氷、そして氷原へと、次々に地球全体に連鎖反応を起こしていくからです。そしてこれらの変化は、人間の時間スケールに対して完全に不可逆的なものです。」と氏は語ります。 次に来るのが、過剰漁獲と破壊的漁業です。生態系全体が産業漁船によって吸い上げられ、海底は底引き網で荒らされます。一例を挙げます。「1960年代、ロシアや日本の船団が、太平洋の天皇海山群[北太平洋の 西側にある海底山脈]に巨大な魚群を発見し、そこに何があるか知ることすらなく、それらを牽引し始めました。漁業資源は崩壊しました。まもなくニュージーランド、オーストラリア、EU漁船団が深海の底引き漁を始めました。漁業資源が次々と壊され、生息環境に大きな被害を与えました。 彼らは船底の底引き網で海底をえぐり取りながら漁獲し、オレンジラフィー[ヒウチダイ科]のような漁獲対象種に甚大な被害を与えました。オレンジラフィーは、成長がとても遅く、30〜40才まで成魚にならず、年間に自然死する割合が極めて低くて150才まで生きる魚です。そこに何があるのか、つまり魚数動態に関する科学的調査が一切ないまま、漁業界全体があっという間に勢いづきました。ようやく調査が追いついた頃には、時すでに遅しでした。現在、漁獲量ははるかに持続可能にはなっているものの、ほとんど全ての魚が底引き網で漁獲されており、それこそが破壊的な産業漁業の最たるものです。」 3つ目が汚染です。全ての有毒化学物質を含む使い捨てプラスチック、重金属などです。「プラスチックが重大な危険であることは確かですが、どれほど危険かはまだ分かっていません。私たちは主に3つの影響を見ています。つまり、漁網等による生物たちの巻き込み。餌と間違えられての誤摂取。極端な場合、鯨類の消化管を完全に詰まらせます。そして毒性です。」 「プラスチックは海水からポリ塩化ビフェニール (PCB) などの残留性有機汚染物質を引き寄せ凝縮させますが、プラスチックそれ自体によくフタレートや難燃剤及びポリ臭化ジフェニルエーテル(PCB類の代替として登場したPBDE類)などの有毒添加物が含まれていて、現在それらが鯨の組織内で発見されています。多くの生物たちが、マイクロプラスチックを餌と間違え食ベています。ですので、私たちがそれら有機汚染物質を取り除いたと思った後もずっと食物連鎖に戻って来る循環が続くだろうと懸念されています。」 ロジャーズ氏は最近、スーパーで買ったシャワージェルに、環境に有害な化学物質が入っていることを見つけ、愕然としました。 それは紫外線遮断剤として最もよく知られているオキシベンゼンで、最近、サンゴ礁に与える害が理由で2021年からハワイでの販売が禁止になったものです。 「最初、その化学物質を見て本当に驚きました。しかしその後、そのオキシベンゾンが何にでも入っていることに気づきました。日焼け止めやシャワージェルだけでなく、シャンプー、ヘアコンディショナー、メーキャップ、マスカラ、さらにはいくつかの食品にさえです。濃度は低いかもしれませんが、排水管を通って環境や飲料水に入って来ます。しかも人々は複数の製品を使用します。肌を通して体内に入り、さまざまな汚染物質の影響が組み合わさる可能性があるのです。皆、自分が買うものは無害だと思っています。販売されるからには安全でなければなりません。しかし、そうではないのです。私たちは皆、これらの化学物質を認識し、それらを避けることが必要です。」 海の暗い話ばかり続きましたが、朗報、少なくとも希望をもてる理由があります。温暖化による暖かい海で、サンゴ礁やそれが支える海洋生物たちが生き残れるかと恐れるよりも希望をもてそうです。氏のものも幾つか含まれる新しい研究ですが、サンゴの生態系が以前考えられていたよりもずっと深く、表層水が熱くなっても生物多様性の安全水域として機能する冷たい水域にまで広がっていることがわかりました。これらの発見により、水深40~150mまでの新しい中光ゾーンが、以前考えられていたよりずっと重要となり、海洋学者は深海域の区分を再検討し始めています。。。(記事全文は定期購読をご利用ください)。。。「増加する世界人口に持続的に食糧を供給し、生物多様性を保全しながら、存亡にかかわる真に大きな気候変動問題に共に対処するために必要なこととは真逆に、ナショナリズム、軍国主義、単独行動主義が広がりつつあります。これら全ての国際的緊張の高まりが、直面している真の問題、つまり地球を100億人が住める状態にどうやって保つかという問題から私たちの関心を大きく逸らせています。」オリバー・ティッケル (Oliver Tickell) はリサージェンス&エコロジストへの定期寄稿者、「国際法と海洋プラスチック汚染: 法を犯す者に責任を課すこと(仮題:International Law and Marine Plastic Pollution: Holding Offenders Accountable)」報告書の執筆者。購読はこちらからどうぞDeep Trouble • Oliver TickellA marine biologist with tales of woe and wonder from the sea