土・手・口

食を本当に健全なものにするにはどうしたらよいか、サティシュ・クマールが説明します。

翻訳:斉藤 孝子

 食べ物は私の人生で重要な役割を果たしてきました。母には5エイカー[約2ヘクタール]の畑があり、様々な野菜に加え、メロン、キビ、緑豆、ゴマを育てていました。私はよく母に連れられて畑まで歩き、種蒔きや水やり、収穫を手伝ったものでした。

 母は料理もとても上手く、チャパティ(発酵させない平たいパン)やダール[剥いた小粒の豆を挽き割ったもの、またそれを煮込んだ南亜料理]、ジンジャー、ウコン、コリアンダー、クミン、カルダモンを使った野菜料理を一緒に作るよう、よく私を誘ったものです。「食べ物はあなたの栄養源であり、薬でもあるのよ。」と、よく言っていました。

 以来、私は野菜作りや料理を楽しんできました。インドのガンディアン・アッシュラム(宗教の修練所)で暮らしていた時のモットーは、「食べる者は食物を育てなければならないし、育てる者には十分な食べ物が必要である」でした。食物に対するガンディアンの考え方は、土・手・口の間の距離はできるだけ短かくあるべき、でした。食べ物が自分の庭先や農家の直売所から来るのなら新鮮です。長距離輸送され、プラスチック包装されたものに、本来の新鮮さはありません。ですから、グローバルに考えながらも、食物は地産地消することです。

 1982年、私は、支援下さる方々と共に、ハートランドにスモールスクールを作りました。開校初日、子供たち・親御さん・先生たちが集まったその日、私は、このスクールを他の学校とどのように差別化を図るべきか尋ねました。答えは、スモールスクールでは、子供たちと先生が毎日一緒に昼食の準備をし、食前のお祈りをし、一緒に美味しいものを食べ、一緒に後片付けをしよう、というものでした。なぜなら粗末な食事のもとで良い教育はできないからです。如何に食べるべきかを知らなければ、ダーウィンやシェイクスピア、科学や歴史について学んでも、なんの意味もありません。野菜の育て方を学ぶこと、料理を学ぶこと、共に食べるのを学ぶことは、教育において、読み書きと同じくらい重要です。

 多くの学校では、食品は大量供給者により遠くから運ばれます。そういう食品はとかく美味しくありません。子供たちが食べないので多くが無駄になります。そして子供たちは糖分や塩分の多いジャンクフードを買い食いするわけですが、味はそこそこでも、栄養にはなりません。

 若者たちは結構、BA、MA、PhDの学位をとって大学を卒業しますが、その多くがパンの焼き方やちゃんとした食事の支度を知りません。そこで私は、1982年、全ての学校に菜園とキッチンを作ろうという運動を始めました。スイミングプール、体育館、理科実験室はあるのに、菜園やキッチンのある学校は殆どありません。なぜ食べ物を軽視するのでしょう? 食べ物は豊かな生活の基本なのに、得てしておざなりになっています。

 1991年、私は成人向けのシューマッハーカレッジの設立を手伝いましたが、そこでも同じ方針を採りました。学生や参加者全員がキッチンに呼ばれ、作業するよう誘われます。料理をする間、授業をとり損ねるわけではありません。なぜなら料理が授業だからです。現在、大学には6エーカーの菜園があり、6ヶ月の園芸学特別コースがあります。学生は4月に入学し、9月末まで大学に住み菜園で働きます。教師、学生、見習いなど、全部で15人がこのコースに参加します。彼らをグローワーと呼んでいます。

 これは実地コースですが、ある程度の理論、つまり、有機栽培、パーマカルチャー[永続可能農業]、アグロコロジー[農業生態学]、バイオダイナミック農法についても学びます。グローワー以外でも、大学で勉強している者は皆、少なくとも週に1度は栽培と料理に携わります。シューマッハ・カレッジが力を入れているのは、知識、心、労働の教育です。

 シューマッハカレッジでの食事は、野菜が主です。動物に対する思いやりが、人間や全ての生きものへの思いやりを育む基礎であることは、間違いないと思います。菜食ベースの人は1エーカーの土地があれば済みますが、肉食ベースの人は5エーカーが必要です。動物たちはますます工場式農場で飼育され、その多くが日の光を見ることもありません。こんな不幸な動物たちが人間によって消費されるのです。人間は、そんな不幸せな動物たちの肉を食べて、どうして幸せになれるでしょう?そういう工場式農場や屠殺場を維持するのに必要な水も莫大な量です。ですから肉を食べる方へは、食べるなら少量を、そして放し飼いで楽しく幸せに生きた動物の肉だけを食べて下さい、というのが私のアドバイスです。

 野菜料理を楽しむには、料理法を学ぶ必要があります。食品が上手に料理され、新鮮で美味しければ、肉が欲しくなることはありません。

 菜食だとひ弱になる、との心配は無用です。かつて環境についての話を乞われ小学校に呼ばれましたが、話の後、ある生徒から「好きな動物は何ですか?」と質問がありました。

 「象」と答えると、「なぜですか?」と訊きます。

 「象は草食動物だけど、とても大きくて強いですね。大きく強くなるために、肉を食べる必要はない、ということです。」と私は答えました。

 「では、二番目に好きな動物は何ですか?」との質問に「馬」と答えると、生徒はまた「なぜですか?」と訊くので、「同じ理由です。馬はとても強く、車のパワーは馬力で測定される程なのに、馬は草食です。」と答えました。

すると生徒は「私は今からベジタリアンになります!」と宣言したのです。

 肉を食べないと十分な力がつかない、というのは完全な神話です。私の家族はジャイナ教信者で、ジャイナ教信者は2000年以上にわたって厳格な菜食主義を通してきましたが、その多くが、楽しく健康に生き、80代後半や90代になっています。

 菜食は、有機栽培のものにすべきです。工業的に生産される農薬や殺虫剤は、しばしば石油からできており、その採掘には地中数千フィートの掘削が必要であり、この化石燃料は温室効果ガスを発生し、地球温暖化を進めます。食べ物が化石燃料由来の化学肥料で栽培され、また化石燃料を使って長距離輸送されては、その環境被害でせっかくの菜食主義の良さも目減りしてしまいます。食べ物が地元産で野菜中心で有機栽培であることは、不可分です。

 次のステップは、モンサントなど多国籍企業が生産する遺伝子組換え(GM)種子を使用しようかなどと決して思わないことです。種は土壌、気候、環境の条件に合わせて何千年も進化してきました。遺伝的に工作された種は、実験室の中で開発され、大方が大儲け目当てです。

 昔ながらの農家にとっては、種は神聖なもの、つまり生命の源です。農家はそれぞれに、自分たちで種を保存します。ところが、モンサントのような営利会社にとっては、種は単に儲けるため、そして農家を会社依存にさせるための商品でしかありません。したがって、GM[遺伝子組換え]種子は商品であるだけでなく、非民主的でもあるのです。農民から種を保存する自由を取り上げます。GM種子の方が収穫量が多いというのは錯覚です。実際、収穫量では多いかもしれませんが、栄養的な質では劣っています。フェイクフードを沢山食べるより、栄養ある食品を少量食べる方が良いです。GM種子由来の食品はフェイクフードです。

 地元で育ち、野菜を主にし、有機で遺伝子組換えのない、健全な物を食べましょう。

サティシュ・クマールは2018年8月25-26日のリバー・コテージ祭 (River Cottage Festival) で食品やその他の問題について講演する予定です。www.rivercottage.net/festival/2018。まもなく始まる新しいポッドキャスト、リサージェンス・ボイス で、食べ物についての彼の話をさらにご視聴頂けます。ご期待下さい。

サティシュ・クマール: リサージェンス・トラストの名誉編集者

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Earth, Hands, Mouth • Satish Kumar

The value of wholesome food

309: Jul/Aug 2018

リサージェンス & エコロジスト 日本版

リサージェンス誌は、スモール・イズ・ビューティフルを提唱したE.F.シューマッハらが始めた社会変革雑誌で、サティシュ・クマールさんが主幹。英国で創刊50年、世界20カ国に読者4万人。環境運動の第一線で活躍するリーダーたちの、よりよい未来への提言で、考える糧を読者にお届け。また、詩や絵などのアートに溢れているのも特徴。

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