生命のある所

翻訳:佐藤 靖子

未来に希望を持っていますか?世界の情勢についてどう思いますか?2年ほど前、私は家族や友人、同僚にこうした質問を投げかけました。答えを聞いて私は不安になりました。希望を抱いている人は誰一人としておらず、多くが恐れや悲しみ、絶望、怒り、罪の意識、悲嘆の気持ちを口にしました。私は40年間近く環境問題を専門に仕事をしてきたので、こうした感情はよく目にしますが、自分が知っている人たちの間でこうした感情がこんなにも広がっていることにショックを受けました。

 この全く非科学的な調査は、遡ること2011年に始めた希望に関する個人的な探求の一部でした。特に日本の福島の原子力発電所の惨事に希望を失っていたある日、私は自分自身にこう問いかけているのに気付きました。「世界が崩れ去りそうに見える時に、どうしたら希望を持てるだろう?」、「どうやったら希望を育むことができるだろう?」、「何よりこうした時代に、希望とは何を意味するのだろう?」満足の行く答えを持ち合わせていなかったため、私はこのテーマについて調査を始めることにしました。

 まず初めに、辞書を引きました。最も一般的な定義は、「願望(desire)」、「期待(expectation)」、「予想(anticipation)」などの単語を使っています。オックスフォード英語辞典(Concise Oxford English Dictionary)では、希望とは「期待と願望が合わさったもの」で、メリアム=ウェブスター辞典(Merriam-Webster)によると、希望は「予想を持って願望を心に抱くこと」とされています。これらの定義をじっくり考えたとき、私はそれらが、人生は私たちが望むものを何でも与えてくれるべきだという仮定に基づいていることに気付きました。つまり、私たちが何かを望めば、それがとても淡いものであっても、状況が私たちの望みを満たすであろうと信じているということです。

 しかし、人生は私たちが望むものを常に与えてはくれません。私を含め多くの人々は、公平で平和な、持続可能な社会を望んでいます。ところが世界の環境問題が悪化し続けるにつれ、人生は反対のもの(私たちが望まないもの)を私たちにもたらしているように見えます。気候システムの崩壊、水欠乏、種の絶滅、資源の枯渇などの傾向を示すグラフが全てを物語っています。私たちの希望がどんなに真摯で善意によるものであっても、そしてその希望を達成するためにどんなに必死に努力しても、望むものが手に入る保証はありません。

 ですから、未来に希望していることと実際に起こっていることの間には不一致があります。これにより、恐れや悲しみ、絶望、怒り、罪の意識、悲嘆を経験することから私たちは逃れられなくなっているのです。実際、私たちが望むことと人生の現実の間の大きなギャップが、こうした痛ましい感情の仕組みです。私たちの希望は高潔で利他的であるかもしれませんが、それらを手に入れたいと必死になればなるほど、人生が望みをかなえてくれなければ私たちはますます感情的に苦しむことになるでしょう。

 探求のこの段階までに、私の気分は始めた時よりも落ち込んでいました。そこで私は辞書に戻り、ありがたいことに、別の定義を見つけました。「願望」、「期待」、「予想」の観点から希望を定義することに加え、ほとんどの辞書には二番目の、古来の定義である「信頼(trust)」が載っていました。この古くてあまり一般的でない意味は、「 望むものを近い将来手に入れることを期待や予想することなしに、人生を信頼すること」に基づいています。私が思うに、この種の希望は、人生における具体的な改善の達成に依存しないため、最初の希望よりずっと強靭で包容力があるように思えます。ついに私は自分の質問の答えを見つけつつあると感じました。

 ユダヤ教とキリスト教における希望に関連して、この種の希望は、起こる事柄、そして人間の対応能力に揺るぎない信頼を置いています。それは人生に対する前向きな見通しや傾向ですが、必ずしも楽観的ではありません。外的な状況や条件に好ましい結果を期待・予想することに基づく一つ目の希望とは違い、二つ目の希望は内側 - 私たちの心、魂、精神 - から来るものです。それは、人生を大いに愛しているため、ぼんやりと座って何もせずにはいられないということです。私はこの種の希望を「内なる希望」、一つ目の希望を「外なる希望」と呼びました。ヴァーツラフ・ハヴェル(Václav Havel)は内なる希望をこう表現しました。「"希望"は心の状態であり、世の中の状況ではない…それは魂の次元である。世の中の何か特定の様相や状況の想定に必ずしも依存するものではない。希望は予知ではなく、精神の志向であり、心の志向である。それはすぐに経験される世界を超越し、その領域を超えた場所にいかりを下ろす。」

 私は次第に、内なる希望が全ての生命に内在すると理解するようになりました。生命のある所に、希望があります。ただ生きているというだけの理由で、私たちは希望を経験することができます。あらゆる生物の遺伝子に埋め込まれているように、それは私たちの遺伝子に埋め込まれています。そうやって、たとえ土がなく、汚染物質だらけで、通り過ぎる歩行者や犬の絶え間ない攻撃にあっても、タンポポは都会の舗装された道路の割れ目の間から芽を出します。根を生やして育つ種があるかどうかなど気にも留めず、1本の楓の木は何十万個もの種を落とします。力尽きて死んでしまうとしても、卵をいっぱいに抱えた太平洋サケは、産まれた川を懸命に上って産卵します。内なる希望は、生命の愛それ自体であると言えるかもしれません。

 私たちはみな内なる希望を持って生まれますが、それを忘れがちです。私たちはいつも問題や困難にばかり注目しているので、生命の奇跡に感謝し損ない、その潜在性や可能性に盲目になっています。私たちは負の側面に集中することで、正の側面を見ていません。不足しているもの、欲しいものを強調することで、既に持っているものに心をとめず、自分がどうあれるかを考えません。

 私は、ポリアンナのようになり、無邪気に人生の楽観的な展望を描くことを提案しているのではありません。内なる希望は希望的観測ではありません。けれども、内なる希望は、起こっていることについて別の役立つ視点をもたらします。さらに、事態がどんなに悪く見えたとしても、私たちは常に内なる希望を受け入れることを選ぶことができます。第二次世界大戦のナチスの強制収容所で生き延びたヴィクトール・フランクルはこう述べています。「[YS5] すべてが奪われてもたった一つ奪えないものがある。それは人に残された最後の自由 ─ どのような状況の中にあっても自分の態度を決める自由だ。」

 では、この混沌とした時代に、私たちは内なる希望を選ぶことができるでしょうか?恐怖より愛を源とすることを選ぶことができるでしょうか?怒りより慈しみの心を源とすることを選ぶことができるでしょうか?意見の合わない人々に心を閉ざしたり彼らから距離を取ったりするのではなく、心を開き関わり合うことができるでしょうか?特定の目標を達成したいという願望を手放し、単にそれ自体のために正しく良いことをすることに没頭できるでしょうか?

 これは難しい注文で、私も未だに苦戦しています。ここで調査の結論として、私はいかに日々の生活の中で内なる希望を維持し育むことができるかを探求することにしました。慎重に熟考した後、私は6つの「希望の習慣」を見つけました。それは、今を生きること、感謝を表現すること、世界を愛すること、あるがままを受け入れること、行動すること、そして長期的に辛抱強く取り組むことです。これらのシンプルなあり方が、私に役立ったように、皆さんにも役立つことを心から「希望」しています。

 内なる希望を維持することはいつも簡単ではありませんが、それは不可欠です。もし私たちが希望を失い、諦めてしまえば、未来のあらゆる暗澹たる予想が、おそらく現実になるでしょう。もし外なる希望にこだわるなら、人生が望みを叶えてくれない時、私たちは恐れ、悲しみ、絶望し、怒り、罪の意識を持ち、悲嘆に暮れ続けるでしょう。けれども内なる希望によって生きることができるなら、何が起ころうとも、最も困難な時でさえ前向きに取り組み、対処することができるでしょう。そしてそうする中で、子どもたちのそのまた子どもたち、そして地球上の生命の将来の全ての世代にとって存続できる未来があるかどうかに影響を与えることができます。

希望の習慣

今を生きると、人生への気付きが増し、内なる希望が培われます。体はいつも今を生きていますが、心はたいていどこか他のところをさまよっています。今を生きている時、心は落ち着き、人生が姿を現します。そして私たちは起こっていることに対し、生き生きと、妨げられることなく、前向きに対応することが可能になります。

感謝を表現することで、内なる希望は育まれます。感謝している時、私たちは自然ともっと希望を持てるようになります。感謝を注いでグラスを半分満たすのです。感謝することは、問題だけではなく幸福を数えることです。

世界を愛することは、内なる希望を育みます。他者に愛を感じる時や他者の自分への愛を経験した時、私たちは普通、心地良く感じるからです。私たちは、相手を知っていようといまいと、他者を愛することができ、特定のコミュニティや場所、そして地球そのものを愛することができます。

現実の状況を受け入れることは、希望の基盤を築きます。なぜならそれは、ものごとを変える可能性を与えてくれるからです。「イエス」と言うことで、それが条件付きや嫌々ながらの「イエス」であったとしても、私たちは問題について何かをする責任を受け入れます。

行動することは希望を育てます。絶望的になっているから何もしたくない、そして十分に行動していないから絶望的になるという悪循環から、行動が私たちを解き放ってくれるからです。

長期的に辛抱強く取り組むことは、内なる希望に不可欠です。それが、何が起ころうとも耐え忍んで進み続けるという毅然とした態度をもたらすからです。忍耐力があれば、私たちは問題を解決し、努力の果実を見ることを期待することなく公平で平和、かつ持続可能な世界を構築するために取り組むことができます。

ケイト・デーヴィスはウィドビー・インスティテュート(Whidbey Institute)の上級研究員で、米国アンティオーク大学の名誉教授。「Intrinsic Hope: Living Courageously in Troubled Times (2018)(内なる希望:困難な時代を勇敢に生きる)(未訳)」の著者。

Where There's Life • Kate Davies

Cultivating Hope can help build a better future

リサージェンス & エコロジスト 日本版

リサージェンス誌は、スモール・イズ・ビューティフルを提唱したE.F.シューマッハらが始めた社会変革雑誌で、サティシュ・クマールさんが主幹。英国で創刊50年、世界20カ国に読者4万人。環境運動の第一線で活躍するリーダーたちの、よりよい未来への提言で、考える糧を読者にお届け。また、詩や絵などのアートに溢れているのも特徴。

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