至福の一点に向けた舞踊

インド伝統舞踊家・デザイナー・教師の Miti Desai にサティシュ・クマールがインタビュー

踊りの世界に足を踏み入れるようになった経緯を教えて下さい。

デザインの世界に旅したことが、踊りの世界に足を踏み入れることへとつながりました。アメリカへデザインの勉強に行った後、ムンバイで応用芸術を学びました。金稼ぎと利潤追求に終始した生き方にますます嫌気が差してきました。それはまた、デザインにホリスティックに関わりたいという、私の中にもともとあった衝動に気づいた時だったのです。これが踊りの世界へと足を踏み入れる始まりでした。デザインに内面から関わることへの求め。これが、自分の身体を通してデザインを経験したいとの欲求を生じさせたのです。

 幼い時にインド伝統舞踊をたしなんでおり、踊りは身体のデザインを内面化し、体験する道のように見えました。踊りに、精神的、霊的、デザインという観点からアプローチすることへの追求は、私の師であるマンダキニ・トリーヴェッティ (Mandakini Trivedi) との出会いをもたらしました。ムンバイにある師の舞踊学校であるナテシュバーリ・ダンス・グルクール (Nateshvari Dance Gurukul) は、技術と自我の完成を通して、インド舞踊におけるヨガ(ホリスティックかつ宇宙と自己の一体化という)伝統の復興にかかわっています。また、少しの間、ドイツのデッサウ (Dessau) にあるバウハウス・スクール・オブ・デザイン (Bauhaus School of Design) のバウハウス・シアター (Bauhaus Theatre) で学びました。そこで、西洋の演劇、舞踊、衣装の世界を垣間見ましたが、私の心は、インド美学の多層的な、宇宙と自己の一体化という梵我一如の、哲学的な考え方に惹かれていました。

 こうして、デザインという外面的な方法を通して伝えるという表現方法は、インドの伝統舞踊を再発見することで、身体をデザインするという内面的な表現方法へと私を導きました。インド伝統舞踊は、私にとって、自分の文化的なルーツ・象徴・世界観へと戻る鍵になっています。その結果、インドの哲学・文化・美学に対しての理解は、自分の中に生まれながらに備わっていたのだということがわかりました。同時に、インド哲学・文学・美学は、デザインや教育・芸術・環境へ影響し、創造的な刺激となっていることが分かったのです。

インド伝統舞踊と民俗舞踊の違いはなんでしょうか。

舞踊の発展は、部族の踊りが生まれることに始まります。部族の踊りは、自然を讃えることであり、ほとんどが儀式的です。社会が発展するにつれて、踊りもまた発展しました。民俗舞踊は互いの存在と連帯感を讃えるものとして生まれたのです。

 インドは民俗舞踊の豊かな伝統があります。インド各29州には、民俗舞踊の型が少なくとも1つはあります。民俗舞踊は集団の踊りで、男性と女性が一緒に踊り、連帯感や自然、行事、人生の節目を祝うために踊るものです。

 社会や個人の意識の発展と共に、表現のより複雑な型が生まれました。インド伝統舞踊もこのプロセスの結果生じています。インド哲学に深く根ざし、宇宙と一体化するために自己超越を目指し、その行程を旅する方法としてデザインされています。伝統舞踊のスタイルは7つあります。其々インドの異なる州から発祥してます。踊りの動き、衣装、宝石や音楽は各々違いますが、基本的な考え方や価値観は全て同じです。インド伝統舞踊の型は独舞です。これは、魂の旅の行程に焦点を当てているためで、芸術形式の価値観や目的と密接なつながりがあります。魂の旅は独りで歩まなければならないのです。

 民俗舞踊は、連帯感を外に向けて讃えるもので、型や動きは簡単で自然に身につけやすいものです。一方、伝統舞踊は、気づきという内面を讃えるものです。型や動作は高度に様式化され、練習には、気づきを高めること、心身の統一、心の中にあり様を見る内観が必要です。

インド伝統舞踊には、どのような意味や哲学が隠されているのでしょうか。

伝統舞踊の哲学は、この踊りが生まれた文明と文化の哲学に根差しています。インドの世界観が重きを置く究極の問いは、人生の目的とは何か、ということです。意識のレベルを上げ、霊的な可能性を最大限に高めるための成長。これが人生の目的なのです。これはかなり大胆な理想を描いたものです。一人の人間がこの道筋を歩く助けとなるはしごが、このようにして全ての芸術形式の中に作られました。インド伝統舞踊もこのようにして作られたはしごの1つで、高次の自己の可能性を垣間見ることができるように作られています。この芸術形式の設計は、自己超越の可能性を秘めています。このように、霊性と哲学がインド伝統舞踊の核なのです。

 古代インドの記録には、ブラフマーナンダ・サホダーラ (brahmananda sahodara) として知られる、インド伝統舞踊の体験と本質についての記述が多くなされた、サンスクリット語による表現があります。ブラフマーナンダ・サホダーラの文字通りの意味は、「絶対者【インド哲学で宇宙の根本原理、宇宙の本体などと説明されるもの】と同じ子宮より生まれる」です。このように、インド伝統舞踊の体験は、絶対者の至福と同じレベルとされているのです。

 伝統舞踊の型は、それ自体ホリスティックなデザインです。複雑かつ融合された美学と象徴が層になり、高められた哲学が核にあります。型には2つの側面があります。1つは純粋な踊りとしての側面です。生命力溢れる動きで、踊り手(また、踊り手を通して観客)は至福と喜びを経験します。他方は、神話の象徴と物語です。物語は文学や詩から引かれ、ヒンドゥー教の代々伝わる神々・女神たちの物語や自然の讃美を描いています。ほとんどのインドの芸術形式は多層構造で、とりわけ舞踊についてそのように言えます。というのも、それぞれ固有の哲学を核にした構造と複雑さをもった、詩、音楽、演劇と動きが組み合わされているからです。これら全ての芸術が組み合わさり、1つまた1つと重なる時、思想、価値観、理想における非の打ち所の無い多様性と複雑さに思いを馳せることができるでしょう。インド伝統舞踊は、魂の広がりを通して輝くことで、単なる芸術の一形式ではなくなるのです。

あなたの踊りについて教えて下さい。

7つのインド伝統舞踊の形式の中で、私が踊っているのは、モニヒアッタム (Mohiniattam) というケーララ州(南インド)発祥の舞踊形式です。ケーララは豊かな擬態の伝承があります。モヒニアタムとは、直訳すると「魅力的な女性の踊り」です。複雑で即興的な美と共に、この形式は、孤を描く動きとゆっくりと揺れる動きによって強められる円の動きを通して表現します。円の動きは、女性のエネルギーの中へ入り浸透していきます。この型は、地域伝承から永遠普遍的なものへと超越する方法となるのです。

踊りはあなたにとって生き方でしょうか。それとも1つの表現形式にすぎないものでしょうか。

古典主義は、とても複雑な思想から来たもので、その会得には高められた気づきと鍛錬が必要です。インド伝統舞踊は、魂の旅を促すように考え出され、デザインされています。もっとも、インド伝統舞踊は、意志、集中、真剣さが組み合わさったものであり、単なる職業、活動の域を越えて、実践者の日々の生活に浸透する結果となります。型そのものが、ただ稽古するだけでも膨大なエネルギーを実践者に与えるように設計されているのです。

 私が指導を受けている舞踊学校、何より、指導を受けている師は、踊りの力量と人生に活きる芸術に重きを置いています。どのような師弟関係にも、教えられたことを人生に活かすことが求められるのです。

 私の師は、師の表現でいう「舞踊というヨガ」を課題としています。「ヨガ」という言葉の意味は、「1つになること」「統合する」という意味です。形式美、主題、実際に踊ることを通して、インド伝統舞踊は、身体的、知能的、心理的なレベルで「1つになること」の道筋に向けての歩みを促します。そして、これは私がインド伝統舞踊の世界へと手ほどきを受けた方法なのです。踊り手は、踊りそのものにならなければなりません。踊りの本質は、踊り手の中に備わっていなければならず、踊り手のする事なす事全ての中に存在していなければならないのです。

 内面の成長は、私にとって、とても重要なことです。全ての行動をこののぞき穴から見るように努めています。ですから職業的な決定は、舞踊の核心にある価値観に背くことなのです。伝統舞踊の稽古は、内面への旅、心にあるものを見つめる内観へと導くものであり、一挙手一投足についてこの価値観を守ろうと努めているのです。ですが、ここで断っておかなければならないのは、これは私が目標を定めたためのささやかな努力であって、決してその高みに立ったと誇張するものではありません。

西洋のクラシックバレエとの違いを教えてください。

美しさという点では、2つの明確な違いは、西洋のバレエは天空へと向かう表現であり、インド伝統舞踊は大地に向かう表現であるという点です。

 西洋のバレエでは、飛翔・自由という感覚を表現するために、踊り手の動きは上へと跳ね上がるものです。一方で、インド伝統舞踊では、踊り手の足は地面をしっかりととらえ、重心は臍を中心としてバレエよりも低いのです。あたかも深く根差した木のように、足の裏に根が生えて大地へと入り込むような動きと言えるでしょう。

 象徴という点では、西洋のバレエはおとぎ話やそれにまつわる物語を表現するものです。一方、インド伝統舞踊は、神話と象徴を通しての旅であり、超越という深遠な哲学へと入っていくものです。

インド伝統舞踊はインドにおいてどのように引き継がれ、親しまれているのでしょうか。

インド伝統舞踊は、寺で発祥し、やがてれっきとした小産業へと発展しました。日常に踊りをたしなむ人、プロ、習っている若い人たちは豊富にいますが、将来の見通しは暗いように見えます。フルタイムの職業として食べていきたいと願う若い人たちにとって、経済的安定性に欠けるのです。プロとして踊っても大したお金にはならず、その経験は不快なものにさえなり得ます。また、商業的かつ職業的な側面は、時として踊りの哲学的な側面と完全に相反するのです。商業的な側面は、どのようなことであっても、インド伝統舞踊の本来の価値観を取り去ってしまう一方で、経済的安定がなければこの芸術形式は死に絶えてしまいます。ですから、商業に関する事柄にも関わっていく必要があるのです。

 将来の見通しが暗い理由の1つは、観客が減っているからです。インド伝統舞踊の形式の複雑さを理解するには、他の多くの芸術形式の理解が必要です。観客が自分で噛み砕いて理解しなければならない表現の体系があります。芸術教育は十分に行われていません。特に、ムンバイではボリウッド (大衆文化) の影響が、芸術教育が必要な人たちに、完全に正反対の価値観を植えつけています。芸術は、自己を高め内面をもっと深く見るように迫るものですが、ボリウッドは、楽しませ、自己逃避を勧めるものです。どのような芸術形式を鑑賞するにも、注意深さと自分で考えることが必要です。そうすることで、自己が高められエネルギーが満たされる経験ができるのです。ポップコーンを食べ、コーラを飲みながら、伝統舞踊のリサイタルを見ることは出来ません。ですが、悲しいことに、そういった社会に私たちは生きているのです。

あなたが踊る究極的な理由を教えてください。

私の踊りは、内面から沸きあがるような情熱から現れた自己表現の形です。内面から湧き上がる情熱とは、世俗的なものを超えた何かと関わりたい、また、自己超越の可能性に向けた切なる願いです。

 古代インドの聖句はこう教えてくれます。「型は型のない世界から現れ、型のない世界へとあなたを連れ戻す」。インドの思想において、人生の目的とは、向上すること、自分の人生を生きること、心のあり方を見つめること、宇宙と一体化し悟りの境地に達することです。この思想は、舞踊という現実の型を通して形を与えられたのです。一方、舞踊の真の目的は、踊り手が、優雅な型を通して、解き放たれた型のない世界を理解し表現することです。言い換えれば、厳しい稽古を通して、踊り手は型を自分の血肉とし、解き放たれた世界を経験し至福の一点(アーナンダ:ananda)に至る可能性を手にするのです。これは、私にとっては、内面にインスピレーションをひらめかせる、高くかかげた目標であり旅と言えます。

将来の展望を教えて下さい。

情熱を傾けている2つ、デザインと踊りの修練に励んでいると思います。理解しようとする力の中にある(根付いている)、内観と気づきを大切にしながら、そのプロセスでは知恵者の助けを借りて、修練していると思います。

 また、精神的指導者の指導の下、文化的な生活共同体でも働いていますが、このプロジェクトに多くの時間をかけることになるでしょう。このプロジェクトは、シャクティヨガシュラマ・グルクーラム (Shaktiyogashrama Gurukulam) というムンバイ郊外にある空間です。霊性、芸術、科学、環境とホリスティックな生き方を学ぶための場所です。将来にむけて、芸術、美学、環境生態学、アーユルベーダ(インドの伝統的な医学)とその他の心身の健康増進プログラムの全寮制授業の設置が考えられています。

ミティ・ディサイは、「Miti Design Lab」のクリエイティブ責任者であり、「Shaktiyogashrama Gurukulam」の常務理事。

www.mitidesignlab.com

www.mitidance.com

翻訳: 浅野 綾子

Dancing Towards the Point of Bliss • Satish Kumar

An interview with Miti Desai, classical Indian dancer, designer and teacher

リサージェンス & エコロジスト 日本版

リサージェンス誌は、スモール・イズ・ビューティフルを提唱したE.F.シューマッハらが始めた社会変革雑誌で、サティシュ・クマールさんが主幹。英国で創刊50年、世界20カ国に読者4万人。環境運動の第一線で活躍するリーダーたちの、よりよい未来への提言で、考える糧を読者にお届け。また、詩や絵などのアートに溢れているのも特徴。

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