慧眼の士

ジョナサン・ウォルポールが、オルダス・ハクスリーのエコロジーと スピリチュアル哲学を考察。

翻訳:斉藤 孝子

私たちは今、オルダス・ハクスリーが小説で描いたようなすばらしい新世界に生きているので しょうか?つまり恐怖と不正に囲まれながらも、買うことができる快楽でたっぷり気晴らしができ、自分らは幸福で それを取りまく世界は十分納得がいく世界に生きているのでしょうか? 多分...

1932年出版で、フォード暦632年、つまり2540年が舞台の「すばらしい新世界」は、ハクスリーがアメリカ暮らしを 経験した後に書かれました。その作品は、特に大量消費や大衆文化にすっかりおかされた人々の増加に焦点を当てて おり、あるレベルで見ると、彼がアメリカで見た人々の暮らしぶりの風刺と読めます。ハクスリーは急速に発展しつ つある精神世界の探求に非常に優れていた為、当然ながらこの種の「進歩」に嫌悪を感じました。その後アメリカが そういう価値観を巧みに輸出したことに照らすと彼の憂慮は至極当然に思われます。

この小説は「中央ロンドン孵化・条件付けセンター」という巨大で不気味な建物から始まり、そこでは、異なる階級

の人間が製造され、社会的権力や責任ある地位につくよう育てられる少数のアルファタイプから、労役の人生に適応 しそれに何の疑問も持たないよう条件付けされる大量の下層エプシロンまでがあります。そのプラントの雰囲気は現 在のハイテク産業を思わせますが、そこでは生産は高度に自動化され、人間は生産手段の管理下にあるというより、 むしろ奴隷化されています。生殖は今や個人の手を離れ、国の管理下に置かれているので、性行為は大抵「媚薬チュー インガム」で焚き付けられ、完璧にレクリエーション化し、パートナー間での関係を深めようという感覚は皆無です。 一夫一婦制は変人と思われます。家族という概念もありません。その他の娯楽には、消費を押し上げる為に壊れ易い 装備を使うオブスタクル・ゴルフというゲームや、国への忠誠心を強め実存的反省を遠ざけるようなあら筋のザ・ フィーリーズという映画鑑賞があります。また不快感を無くす為の手段として、幸福感をもたらす副作用無しの幻覚 剤ソーマの使用が奨励されます。

西欧駐在の世界統制官マスタファ・モンドと、世界国家の外で生まれ、そこに来た時にちょっとした有名人になるサ ヴェッジとの会話が、この小説の哲学的核心を形成してます。他の登場人物と違い、国からの条件付けも管理もされ ていないサヴェッジは、神の概念があり、かなり風変わりですが、シェイクスピアを愛読しそれらからの引用が好き です。モンドが「(私の)文明は機械、薬、幸福を選んだ」ので芸術や宗教との接触は、他の何にも勝る社会の安定 を脅かすだろうと説明すると、サヴェッジは「私は神が欲しい、詩が欲しい、本当の危険が欲しい、自由が欲しい、 善が欲しい、罪が欲しい」と反駁します。するとモンドは、素っ気なくこう応えます。私も「老いて醜く不能になる 権利」や「梅毒や癌になる権利」、つまり世界国家が上手く減らすか無くすかして来た人間の不安や状態、と同じよ うにそれらを歓迎して来たのさ。不幸にも、このやり取り後まもなく、サヴェッジはその新世界の奔放な性風潮に抗 えなくなり、乱交に加わり、自責の念で自殺します。

この小説は逆に、ハクスリーの世界をより良くする方法への専心、大組織への不信、自然界との触れ合いを失くす懸 念、そして本当の進歩は技術の進歩でなく博愛にあるという彼の信念を反映しています。

1962年出版の最後の小説「島」で彼はこれらのテーマに戻って来ますが、こちらは「すばらしい新世界」のディスト ピアとは対照的なユートピアの話です。「すばらしい新世界」が独裁的手法により安定が強化される社会を描くなら、

けいもう 島は共感、協力、同意、精神的啓蒙の探求を最も大切にすることで、見事に機能する自己充足の世界を描いていま

す。パラという名のその島の動植物は持続可能に管理され、万物の理に適ったそれぞれの場所が十分尊重されていま す。人口は一定に保たれ、愛のヨガ、ミトゥナに具現化されているように、性的抑制と併行して自由に使えるバースコントロールで、マルサスの罠【食糧増加が人口増加に追いつかず貧困が発生すること】に陥らないようにしています。「すば らしい新世界」同様、人工授精と選抜育種が行われています。つまり、両親は自然妊娠を決めるか、あるいは、島の 血統書付精子バンクからの精子を使う体外受精を選びます。育児は両親がしますが、特に家庭で上手く行かない場合 は大抵、一連の相互養育クラブを通して選ばれた他の数家族と共に暮らします。

島での暮らしを司る倫理や慣習は、この小説の話が起こる2、3世代前の大乗仏教徒の王ラジャとスコットランドの医 師アンドリュー・マクフェイにより確立されました。その医師は、命の危険ある顔面腫瘍を患うラジャの手当てをす る為にパラを訪れ、催眠術を使って手術を成功させ、その後ラジャの最高顧問になります。2人が創設したその国の 基本事項はラジャの著「万物と万物への正しい処し方覚え書 (Notes on What’s What, and on What it Might be Rea- sonable to Do About What’s What)」に記されていますが、この2人の来歴や信念、つまり実践的功利主義と仏教的精 神が融合したものとなっています。その瞬間を生きることに価値をおく信仰と、瞑想を通しての精神的啓蒙の探求が、 パラでの生活の土台です。宗教的慣習、内在する神の探求、調和と明晰さは、幻覚作用のあるきのこ、モクシャ薬の 力をたまに借ります。

この幸福な安定は、自称「専門遂行監視官」で、ジャーナリスト兼フィクサー【事件の揉み消しを図る黒幕】のウィル・ ファーナビーによって脅かされます。彼は、そのボス、大君のジョー・アルデードの走狗となり、パラの豊富な鉱物 資源、特に石油の搾取を狙って列をなしている外来者達の中で自分を有利にする為に、遭難してパラに現れたように 画策します。隣国のレンダン・ロボ国とそのリーダーの軍独裁者ディパも、適当な統治宣言を口実に、また石油会社 を味方につけ、何らかの襲撃をして来るでしょう。まもなく王になるムルガンと母の女王ラニは、西洋の消費至上主 義に溺れ、大半を島から離れて暮らしており、物質的利益の為にディパと共謀して島民の暮らしを犠牲にするつもり でいます。

ウィルはパラに着くとすぐ岸壁によじ登って負傷し、それを島民らが救助し自宅に連れて行きます。アンドリュー医 師の孫息子であるロバート・マックフェイ医師はこの新参者を手当てし、「万物の覚え書」の写しを与え、島の暮ら しを観る為にひと月滞在するよう誘います。話は、ウィルが寺院や学校等、島の様々な場を訪ね歩き、次第に過去の 生活が嫌になり、精神性を増し自己に目覚めていく様子を追い、ついに多大な自ら多大な犠牲を払って、島の資源侵 略や乗っ取りに手を貸すことを拒絶する、というクライマックスに達します。ストーリーはひどく悲壮的で、ディパ 軍の進軍、銃撃、そしてムルガンが拡声器で新レンダン・パラ王国の樹立宣言をして幕を閉じます。平和主義者の島 民たちは抵抗する術もありません。

ハクスリーが皮肉たっぷりに描いた「すばらしい新世界」と違い、「島」は彼のマニフェストとも捉えられる、非常 に真面目な作品です。これら2つの小説に基づき、ハクスリーは先見者か皮肉屋か芸術家かと問うかもしれませんが、 私たちが今日生きている世界について言うべきものを今尚持っています。

私は、どちらかと言えば、彼の観察がより当てはまるようになって来た、と考えます。優生学は20世紀ナチスで大量 に行われた為タブーな話題とみなされていますが、ハクスリーの優生学の著述は、いわゆる遺伝子工学に夢中になっ ている今の私たちの写し鏡です。両作品とも、個人の重要性や、変化における精神的成長、そして時に混乱した世界

み ら いえいごう を強調してもいます。消費社会の空虚さを問い正し、消費行動が環境に及ぼす未来永劫に続く計り知れない犠牲を指

摘しています。もしハクスリーが今日生きていたなら、私たちが地球に与えて来たダメージや、人間由来の気候変動 が必ずやもたらすであろう悲惨な結末に、悲しみはしても、驚きはしなかったであろうと私は確信しています。

ジョナサン・ウォルポール (Jonathan Walpole) は執筆家で発酵期間に学術的な興味を持っています。

リサージェンス & エコロジスト 日本版

リサージェンス誌は、スモール・イズ・ビューティフルを提唱したE.F.シューマッハらが始めた社会変革雑誌で、サティシュ・クマールさんが主幹。英国で創刊50年、世界20カ国に読者4万人。環境運動の第一線で活躍するリーダーたちの、よりよい未来への提言で、考える糧を読者にお届け。また、詩や絵などのアートに溢れているのも特徴。

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